川田テクノロジーズ (3443) 技術にロマンを! by yamamoto

前置き Imagine the world after you die

人には寿命がある。 が、しかし、人は寿命を超えて物事を考えることができる。 つまり、死んだ後のことも考慮して行動することができる。

家を建てるとする。 自分が行きている間だけ考えれば、30−40年持てば大丈夫だ。 それでいいのか、と常々思う。

所有しても人は死ぬ。 所有とは生きている間だけの排他的な権利。 つまり、ほんの数十年の間の占有に過ぎない。

芸術家を育てるには三世代がかかるといわれる。 家を買うことも、寿命を超えて、三世代で入手すれば、それが合理的なように思える。

いま、ようやく、「200年住宅」というものがアピールされるようになった。 これまでは20−30年で家を建て替えるというのが前提であった。 ビルディングも50年もすれば建て替えるようだが。

コンクリートや鉄骨にも確かに寿命がある。 鉄は安価だが錆び朽ちる。 だが、それを防ぐことはできる。さらに、材料に改良を加えることもできる。

いまでも、むかしでも、1000年メンテナンスをすることで、家を永らえることは技術的に可能だ。

よい例が、法隆寺だろう。1000年以上もの間、しっかりメンテされ火災に合わない時期があったという。

さて、マイホーム。 孫の代までを計算にいれるならば、300年住宅をつくり、 それを後世でも使用してもらうことが一番お得だとわたしは思うのだが。

わたしの家の妄想など、とるにたらない私的な問題に過ぎない。

しかし、これが高速道路であったり、港湾や空港設備であったらどうか。

社会インフラならば、まさに、超長期的な視点で整備されなければならない。

ところが!である。 高度成長期につくられた橋、建物、トンネル、高速道路などは、もう寿命がきているというのだ。

なんたることだ。 国家100年の計ではなかったのか? 50年、60年で大慌てするようでは困るのだ。 なんといっても、国家インフラなのだから。 なぜいま、社会インフラに膨大な更新需要が発生しているのか。

(明治神宮の人工林は100年の歳月を経て、オオタカが巣食う森へと育った。何事も長期の展望で考えたいものだ。)

コンクリート クライシス

法政大学 デザイン工学部溝渕利明教授の書籍等を引用する。

「現在知られているもっとも古いセメント系材料としては、今日使用されている成分や製法とは同じではないものの、 イスラエルのイフタフ遺跡から発見されたものがあるそうだ。」

「大型居住跡の床から出土したコンクリートは、15~60N(ニュートン)/mm2の圧縮強度があり、 これは現在用いられているコンクリートと同等以上の強度」だそうだ。 「イフタフ遺跡は紀元前7000年ごろの遺跡ですから、このコンクリートは9000年以上の寿命をもっている」 (法政大学 デザイン工学部溝渕利明教授)

http://www.hosei.ac.jp/koho/pickup/professor/2008/081120.html

鉄筋を配置したコンクリートの登場により、それまでにない形状の建築物を建設することが可能になった。 その一方で、内部の鉄筋の劣化という問題を抱えることに。

「これによりコンクリートの寿命は数十年から数百年に短くなった。」 (溝渕利明氏HPより)

コンクリートの寿命は、工事現場で採用される工法とも関係。 戦前の施工現場では、固いコンクリートを手動のカートで運ぶことが一般的だが、 高度成長期以降の大量・急速施工の時代には、工場から運ばれたコンクリートを必要な位置までポンプで送るというやり方が一般化した。 ポンプで圧送できるためには、コンクリートに水を多く含ませ、軟らかくする。 こうした製法で作られたコンクリートの寿命は、比較的好条件のもとで100年程度、 海岸部等の悪条件下では50年程度といわれている。

海岸近くのコンクリートや、冬季に融雪剤に触れるコンクリートでは、 塩分がコンクリート内部に浸透し、それが鉄筋と反応することで鉄筋を腐食させる。

また、別の例としては、安山岩等を材料に作られたコンクリートは、「アルカリシリカ反応」 と呼ばれる亀甲状のひび割れを生じさせることが知られている。

この現象は、1980年代に「コンクリート・クライシス」として話題になった。 

コンクリートは当初「アルカリ性」である。これが空気中の炭酸ガスを吸収して年に0.5mmずつ中性化する。 鉄筋のかぶり厚(コンクリートの厚み)は3cm。つまり60年でコンクリートの中性化が、鉄筋にまで到達する。 コンクリートは中性化しても強度が弱まるわけではなく、空気や水が浸透しやすくなることで劣化。 これが鉄筋にまで到達すると錆を生じさせることで鉄筋が膨張、コンクリートを徐々に押し出すような事態が発生するというわけだ。」

(不動産コンサルタント/株式会社さくら事務所 会長 長嶋修さんのHPより)

現場で流し込んで作るものは、流動性が求められ、水分比率が70%近くになる。これでは、耐久年数が50年程度になってしまう。 強度27N/mm^2だ。 そこで、水分を40%以下にして、パネルや部材を管理の届く工場で製造する。現場では、パネルを組み立てるというシステムにする。 そうなると、耐久年数は200年近くに向上する。強度50N/mm^2だ。

これからのコンクリートはクライシスの反省を生かしてこれからはおしなべて300年単位の寿命をもたせて欲しいと強く願う。

いま、インフラ急整備した高度成長期のツケが回ってきて大変な事態である。 鉄骨は、錆びたら終わり。 だから、腐食しないように、メンテできるシステムが重要だ。

いま、コンクリートは、生コンで流し込むと、水和反応で工期が長期化する。 だから、PCのように最初から作っておいて、現場では組み立てだけを行うのが主流だ。 これで人手不足を補うこともできる。 

川田テクノロジーズのこと

1922年に鍛冶職人であった川田忠太郎が富山県福野町(現:南砺市)に興した川田鐵工所が礎だ。家業をを継いだ息子の川田忠雄と孫の川田忠樹が1950年台に橋梁の建築手法に疑問を持った。1961年、吊り橋にプリスレスト手法で架設する特許を取得。全国の大規模な大橋を手がけることになった。

第5位の橋梁総合メーカ、川田工業として昭和42年(1965年)に上場を果たす。

年商は20−30億円程度であった。忠雄時代は高度成長期でもあり、年商はぐんぐんと伸びていく。昭和45年には50億円を突破する。昭和46年に60億円を突破。翌47年には80億円を突破する。昭和48年に売上100億円を超える。このころ、従業員はすでに1000名を超える所帯となった。ところが、高度成長末期、日本経済成長率が鈍化するころ、昭和50年(1975年)には競争が激化。利益率は一桁台前半が定位置になる。日本のインフラ整備は一段落。社長忠雄は、このタイミングで息子、忠樹を平取から副社長に抜擢する。

忠樹は、東京外語大出であり、海外へ活路を見出す。川田はグローバル展開を目指す。

容易に想像できるだろう。海外は国内とは全く勝手が違う。工事は難航。それでも米国にて、大規模受注を獲得する。日本の橋梁技術は世界から認められていた。1977年には海外比率が2割。中東からも大型案件を獲得する。年商は150億円を超える。営業利益率は3%程度であった。

アラブ案件をまとめあげ、ここで、社長が交代する。1978年川田忠樹が新社長に就任。

この新社長は、技術屋ではなかった。だが、技術は好きだった。川田技報No.1をこの年発刊した。

タイトルは、「技術にロマンを」(Seek Romanticism in Technogogy)とエンジニアを鼓舞した。

技術にロマンを

これは、富山の鍛冶屋に過ぎなかった同社が、橋梁大手にのし上がったのも、新工法特許に裏付けられた技術力であったことを考えれば当然かもしれない。実は、忠樹は、語学を生かして、1960年代に欧州各国を歴訪している。そのとき出会ったのがIBMのメインフレイム コンピュータであった。

これだ!

これからの時代はコンピュータの活用が必須になる。60年代にそう確信した忠樹は、自ら、コンピュータ講習会に通う。そして、国鉄技術研究所で構造解析プログラムを開発していた主任研究員の大地羊三博士を川田に1964年に招く。大変高価であったが、1968年にIBM-1130を導入した。

導入したIBM製コンピュータ

そして、技術計算を駆使。さまざまな橋梁構造分析のためのツールを開発していった。

当初は、振動解析等の技術向けだったが、次第に、CADなどの生産性向上のためにもシステム開発は勧められた。それだけではなく、ITそのものをビジネスにできると踏んた忠樹は、新分野を立ち上げる。

1980年代 鉄構部門・建築部門、ITビジネスを育成

海外受注は順調であったため、増収基調が継続。1982年に年商300億円を達成する。

ここで、建築や鉄構などの新規部門を立ち上げる。

年商300億円の時代に、年商1000億円を5年で達成すると公表。積極的な姿勢を取り続ける。

ITビジネスとしてCAD/CAMを1984年に外販を開始する。

バブル経済とその後

1986年は売上390億円。営業益は最高益の21億円となった。

瀬戸大橋効果もあった。

1987年は売上439億円。営業益は29億円と最高益更新。

受注は600億円を突破した。

1988年売上500億円突破。営業益34億円と最高益を連続して更新。

1990年に売上650億円を超える。1991年売上700億円を突破。

忠雄が会長を退く。名実ともに忠樹の時代を迎える。

1992年売上831億円。営業益41億円(最高益)を記録する。

1993年売上880億円。営業益は63億円(最高益)。

1994年売上928億円。営業益61億円と高水準をキープ。このころ、海外売上はゼロ。国内で手がいっぱいの状態であった。従業員は1600人規模へ増加する。賃金は35万円。

このころ、従業員数は1245名。その平均月給は32万円であった。

さすがに90年代後半は、新規の鉄構や建設が不振。そのときでも、競争力の高い橋梁が利益を支える構図であった。

1996年や1997年には営業益は10億円台まで落ち込む。

1996年に忠樹は会長となり、社長には多田勝彦が就く。(2005年までこの体制が続く)

ついに1998年。営業赤字に転落。売上900億円。営業損失13億円であった。

新規事業 RoboCopter

1987年。バブル経済に向かう中、川田はCAD/CAMに止まらずに同社のIT事業を拡張する。

航空事業部を新設。ヘリコプター事業を新規に立ち上げる。自律制御のヘリの開発を目指す。

日本という人口密度が高く、交通渋滞のひどい国では、3次元輸送(飛行機やヘリ)が必要になる、との読みがあった。飛行機ではなくヘリコプターを選んだのは離発着に広大な敷地が不要である、という理由であった。

自社開発の前に、まず、海外から主な機種11種類を輸入。さらに、パイロット育成のために、スクールを立ち上げた。これは日米で開設したスクールで、これまでに多くのパイロットを輩出している。

ヘリの自律運転を研究するうちに、研究機関から多くの開発の話が舞い込む。

災害時に無人で飛ぶ、RoboCopterを川田が開発したためだ。

リニア サーボ アクテュエータとその制御システムが中核であった。

川田は、このシステムを車椅子にも転用。目に見えない潜在的なニーズ、社会の切実なニーズに対応した。

これが東大情報工学システム研究所の井上博充博士が川田にヒューマノイドの施策を依頼するきっかけとなった。1999年のことであった。(井上博士は後に川田ロボティクスの取締役となる)

そのころ川田の業績は利益は低水準であった。1998年には上場来初の赤字転落。余裕などなかったはずだ。それでも、一銭にもならない試作を請け負ったのだ。当時は、歩行にもこだわっていたが、双碗タイプで実用化に近づく。これが大ヒット ヒューマノイド NEXTAGE (2011年発表)へと繋がっていくのだが。

川田は、手術のときの照明に自律的動作を施すなど、社会の切実なニーズを具現化した。この手術照明システムは2500台を超えるヒットとなっている。事業部とのしての初の量産製品であり、現在も継続中だ。

2000年代 橋梁技術を建築に転用 システム建築で最高益を更新

川田は、橋梁技術を建築に転用していく。プレビーム梁を建築に取り入れ、1986年には世界一高い阿弥陀如来像(東京本願寺)を建立している。得意のITを駆使。自動搬送、自動溶接を核とした全天候型建築システムを東京理科大の平野研究室と米バーニジア工科大学との連携により開発。

システム建築を導入し、2000年には過去最高の売上1108億円。営業益49億円を達成する。

翌年2001年売上1239億円。営業益52億円を達成。

120米の高さ。プレビーム梁技術。

政権交代 忠裕新社長の時代

2000年代、忠樹会長ー多田社長体制が長期化する中で、現社長の川田忠裕が経営陣入りする。

政権は2005年に交代する。

忠樹会長ー多田社長は院政を引かずに引退。40代の忠裕が新社長に就任する。

しかし、新社長の川田忠裕には試練が待ち受けていた。稼ぎ頭の橋梁部門は独占禁止法違反による指名停止処分を受ける。

2005年、川田は赤字に転落。

年商1000億円企業で連結従業員数は2000名。平均給与は555万円であった。

2008年リーマンショック ロボットへの傾斜

2008年には38億円の営業損失。リーマンショックも経験。民主党政権ではコンクリートから人へのシフトで建設業界が苦境に陥った。苦境はバネになる。

忠裕社長、川田工業を株式移転により、川田テクノロジーズを設立する。

インダストリーではない。テクノロジー会社であることを知らしめた。

先代の忠樹が1960年代にコンピューターに賭けたように、忠裕社長はヒューマノイドに賭けた。

忠裕社長は、海外の大学を出た。サラブレットといえばサラブレッド。鍛冶屋を創業した忠太郎。上場まで持って行った叩き上げ気質の忠雄。建設にコンピュータ制御を取り入れた忠樹。そして、1962年生まれの忠裕社長は留学組である。そして、この時期、同時に常務に昇進したのが、新社長と同世代といってよい渡邊敏常務(昭和35年生まれ)である。忠裕社長と渡邊常務との二人三脚がこの後の川田社員を鼓舞することになる。

自己資本比率は20%の低位であった。資金を調達して、ロボット事業を育成する。

二足歩行ではなく、人の多くが座って作業するように、双碗ロボットを学術向けに低価格で投入する。

2010年。産業用向けロボットに目処。

2010年は最高益64億円を記録する。システム建設も橋梁もまずまずの水準まで回復した。

ところが、2012年から、THK向けのロボット出荷はよかったが、後が続かなかった。

さらに、橋梁・建築・鉄構の受注も低迷。営業益は一桁まで落ちてしまう。

アベノミクス 設計変更が可能に

窮地の川田テクノロジーは、アベノミクスによる設計変更制度により息を吹き返す。

民主党政権下で徹底的に叩かれた公共工事だったが、資材の高騰や技術者不足であり、これからの膨大なインフラ更新需要に対応できなくなるリスクが高まった。一定のコストであれば、それを後から請求できるシステムが導入されたのだ。

2013年、2014年と二年続けて20億円程度の営業益を確保できるようになった。

2015年に30億円。2016年には59億円と営業益は急回復したのだ。

2017年にNEXTAGEの新型を投入予定だったが、開発が遅れている。

設計変更も上期なく、2018年3月は減益となる。

2019年以降、リスクは人件費高騰、人手不足、鋼材資材の高騰など、これまで通り問題山積みだ。

だが、この会社はテクノロジーの会社である。脈々と続くチャレンジ精神が活力となっているのだ。

利益は過去最高を更新できないでいるが、従業員は2200名。大きなリストラをすることもなく、オーナーは従業員を守っている。

飽和する市場などない

高度成長が終わりつつあった1978年。川田忠樹は海外案件にかかりきりであった。

しかしながら、川田技報を発行。研究開発の重要性を全社員に知らしめた。

尖った技術があれば、大手ではなくとも、戦える。

「技術にロマンを」と訴えた。そのスピリットは引き継がれているように思える。

橋もビルも進化している。現場における省人化の技術は進化している。

もうインフラ整備は終わりだ。これからはコンクリートから人なんだと。本当にそうだったのか。

いや、違う。世の中に飽和する市場はない。いま、川田は膨大な潜在需要をいかにテクノロジーの力を使って顕在化できるかに挑戦しているように見える。

1978年の社長就任で先代の忠樹は、公害に苦しむ人々に思いを馳せた。商談のため、アラブを歴訪していたときのアラブの夜。そこにあった星空。こんなに星があったのか!という想い。日本の空を思い起こしうなだれた。そういう想いは、困難な手術を助ける照明システムや車椅子、そして、人手不足の現場を助けるシステム建築、災害現場を飛ぶRoboCopter、そして製造現場を助けるNEXTAGEとなって結実した。

車椅子で快適ドライブ

トイレアシスト

企業は、人々をただ、便利なもの、快適なものへと誘うだけの存在ではない。

利益がないときもあるときも、仕事があるときもないときも、社会には切実な需要が膨大に眠っている。その切実さと向き合うためには、満天に咲く星空を見て、それに感動しつつも、それがいま見えない人々の悔しい想いをわかる感受性が経営者には必要だとわたしは思う。

そうでなければ、企業は、ただ、利益を稼ぐための道具に成り下がってしまう。

川田は株としてはどうか。正直、わからない。だが、応援したい、とわたしは思うのだ。

わたしは元来、利益率の低い会社は買わない。

川田の利益率は低位であり、建設における競争は厳しい。

それにも関わらず、赤字でヒューマノイド事業を継続している。

多くの株主には不満が残るだろう。

そういう方に、企業のあり方のひとつとして、この企業を紹介したいと思った。創業者たちの想いは、社員には伝わっているように思える。

参考資料

ロボット関連

kawada_robot001

kawada_robot002

kawada_robot_history

kawada_robot004

いずれも川田テクノロジーのHPにある。

収益の説明

川田テクノロジーズは ご存知のようにカワダロボティクスを擁し、 ヒューマノイドで日本の協業型ロボットを牽引する会社である。 だが、利益の源泉は鉄構事業(ボックス柱)であり、次いで土木事業(PC)である。

カワダの栃木のPC製造工程を2016年12月ごろ見学した。5日ぐらいで水和反応を終わらせるなど、生産性は高かった。 生産物を置く場所が必要なこと、広大な土地があること、そして、需要地である関東へのアクセスがよいことなどを考えると、 カワダのポジションニングは必ずしも悪くはないと思う。

首都高速道路の羽田線大規模建て替えがある。 今後10何年と需要があるそうだ。 100億円規模でやっている。

(床版は取り替える。基礎は大丈夫。基礎から取り替える場合もある) (更新需要1兆6000億円が15年間で発注ある。床板。プレコンへの需要は大きい。)

これらは土木セグメントである。仕事は山のようにある。 この膨大な需要と、それを設計変更によって、利益を確保するという法律に守られたビジネス、さらに、ヒューマノイドの夢が重なって、 同社の株価は2016年に暴騰した。 株価は3000円台から8000円台になった。

工場見学会は2016年の12月であった。 そのとき、株価はピークであった。 その後、2018/3の決算はは設計変更がなく、材料と人件費の増加で利益が急減。 さらに、期待のヒューマノイドが旧型新型の切り替え時期に重なりセグメントは赤字になった。

株価は2018年2月に入り、年初来安値を更新。5000円台前半。 大きな調整を余儀なくされた。 だが、来期は、期待できそうだ。 ヒューマノイドが新型販売で戻ること、 設計変更も獲得できるだろう。

土木セグメント

prestressed concrete事態は25年前から普及している。 那須工場は主にPC部材を生産している。 国内には180のPC認定工場が国内にあるものの、 その中でJISとHを全製品で認定をしているのが川田のみである。 これは強みだ。

栃木の30トンのクレーン。ストックヤードは広大だ。 製作ヤードやプレビームヤードを見学した。 PC床版(基礎の鉄骨の上に乗せるPC) このところ、職人不足で、現場で組み立てるだけのPCが人気に。

PCは引っ張りに弱いが、圧縮には強い。 耐久性やひび割れに強い。 鉄筋コンクリートで荷重かかると一方にヒビが生じる。 あらかじめ応力を与えて、荷重に強い。鉄筋の5倍の強度という。 鋼材が縮もうとする力が働く。

13トン、15トン/枚 100トンクラスのクレーンで引き上げていた。 PC内部の鉄筋の防錆: 青いエポキシ塗装をして防錆。 エポキシ樹脂は塗布。 120N最高級 H認定工場は100N以上つくれる 一般建設24N 主力は50Nで1日で製作。 1週間で50Nを保証している!!

首都高の補修、道路公団受注は堅調!

床板取り替えはそのうち本格化するだろう。 

建築セグメント2018/3

採算性の高い「システム建築」が減少 前年に比べて受注苦戦。 中身の問題だという。手持ち工事の半分がシステム建築 (倉庫、物流センター向けの大型)完工が速かった。 設備投資一段落。手持ち工事が一般建築が増えている。 完工が遅い。人手不足であろう。 人手確保できず。小ぶりで人が多くかかる。 ダブルパンチであった。 180億円の通期昨年が120億円に止まる。 採算がよい大きなものは人がかからないので好ましいが、 とれなかかった。

収益の中心 鉄構セグメント 鉄骨柱:不足する溶接技術者

鉄の厚板で作った柱10m−12mもの長さ(というか高さ)。 4枚の鉄板。ダイヤフラム内部で補強板をいれる。継手板をいれる。 板切断。柱の外壁四枚。 開先加工 内部の板 ボックス組み立て 溶接1号 溶接2号 20トンの25トントレーラーにひとつのみ。 BOX柱は現場で溶接して高くしていく。

溶接できる人日本全国で300人しか職人いないが、 そのうちの40人が川田。 これは強みだ。

==鉄骨の需要==

いま、500万トン。リーマンショック後に400万トンに落ちる。 1990年は1200万トンもあったという。さすがバブルの絶頂期だ。 80年代は800万トン−900万トン。 それが、2007年から坂道を転げ落ちるように、700、600、500万トンと落ちてしまった。

震災以降は復興需要や民主党政治の終焉で400万トンから500万トンへ。その後横ばっている状態だ。

栃木はSグレードという最高ランクを取得している。 J,R,M,H,Sとあり、最高級グレードがSだ。 S取得は国内では14工場のみ。そのうひ3つが川田である。これは強みだ。 Sグレード企業でのシェア13%ー17%シェア。いま、16%シェアでトップ。 東京スカイの鉄骨。テレビ東京六本木グランドタワー、ヒカリエなどで実績があるという。 現場で組み立てるだけだから、これも省人化に貢献している。人手不足でもなんとかなっている。

新規案件は出てきた。

名古屋環状、東北復興橋梁新設案件など。 100億円(JV30%の割合) 順調に工事が進んでいる。

2018/3 鉄構セグメント

橋梁セグメントは受注は3Qで3割近く伸びている。(2018/2/9) このセグンメントでは前年比で15億円もの減益だが、 3Qだけをとれば、2Qよりも増益、前年3Q比較でも増益だ。 3Qだけ見るとよい。確かに潮目は変わってきたように思える。 今期の苦戦の理由は単純だ。設計変更の獲得に至らなかったから。

設計変更は、追加コストを客に飲んでもらうこと。 昨年はこの設計変更が多く、同社の利益が急に跳ね上がった。 要はいいこと尽くしであったのが昨年。 悪いこと尽くしであったのが今年だ。

思い起こせば昨年の上期は長期案件の設計変更があったのだ。 橋梁では首都高、2010年および2011年の当時の案件の当時の案件が設計変更となった。 今年度の下期は例年並み確保するという。 個別事業の採算性を改善するしかなく、そうしたい、とのこと。

2018/3 ヒューマノイド(その他セグメント(ROBOT 次世代型に注力))

投資家が一番注目しているのは、次世代の協調型ロボットNEXTAGEだ。 このセグメントが大きく減益となったので、投資家の人気は離散した。 研究開発がまだ積み増す。 2016-2017年は年間130億円程度の売り上げがあったが、新型開発が遅れたため、2018/2は減収だ。 収益はトントンだったが、今期は赤字転落。

赤字はロボット開発など先行投資によるものと、旧型をあえて売らなかった。 ヒューマノイドNEXTAGEの新しい形のものをいま開発中。 前半では旧型の販売を見込んでいたが、 新しいものをやっている。 旧型を販売するのはいかがなものか。 この会社は善意に溢れているのか、旧型を販売しようとして「やめた」。

新型はROBOT展2017で新型の外側だけは並べたが、 開発は遅れているそうだ。 本来であれば、今年度の早いうちに出すうち、 来期にはなんとか、売れるような体制をつくるとしている。 つまり、走りながら考えている、ということだ。

– RIKS 1 資材価格の高騰- MILメーカから値上げ圧力。

1−3月までに話し合った。鉄骨、鋼材- 前期のものについては値上げなかった。 その後、個別に話。 昨年度の一時に比べると、鋼材単価は落ち着いている状況。 市況製品が上がっているとはいえ、個別での注文が中心、厚板は個別案件、都度、ミルと話し合っている。 案件があるときに、ある程度、ヘッジはできている。 国交省の契約約款は5%以上あがるとスライド状況がある。ヘッジが効くところはある。 市況もので一部使う。

– RISK 2 労務費の高騰-

高齢化が進捗する中で、3K。業績は厳しい。 ご年配の方々を活用しながらやっている。 床板取り替え、現場の仕事が増えている。 人員がネックになるケースになる。 NEXCOあたりも各社の状況はわかっている。 発注元も、まとめて出したらまずいよな、という感じである。

川田技報 

1979-2018

http://www.kawada.co.jp/technology/gihou/

1号から37号まで発行されている。とにかく真面目な会社である。

鉄構、橋梁、コンクリート、技術に対する真摯な姿勢に好感が持てる。

90年を振り返るには、これがよい。

川田工業90年

付録

2018/2/13 に記す。

一気にかいたので、誤字脱字多し。

明日以降、step by stepで手を入れていきます。。。

 

 

 

 

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