投資と大暴落 by yamamoto   

暴落

相場に暴落は付きもの。そしてそれを事前に予見はできない。相場の方向性を当てられる人は一人もいない。どんな人でも当てられない。ヘッジファンド業界を見てきて、誰一人もいなかった。相場のレンジを求められて上に応える人が多いのは当たり前だ。ボラティリティはプラスマイナス20%だが、プラスの7%ぐらいはドリフト率があるので予想が上になるに決まっている。あえてマイナスにする理由は何もない。そして、暴落がきたときに、それみろとばかり、以前のコメントを引き合いに出す。そういう人もわんさかいる。俺はもともと弱気だっただの、今、嵐だから嵐が待つまで待てという人がわんさかいる。暴落だから市場から安全なところへ逃げろという人もいる。しかし、運用というものはそういうものではない。リターンとリスクをどうデザインするかという問題。

その人の資産、その人の年齢や収入、ポートフォリオ運用なのか単なる回転売買なのか。信用なのか現物なのか。フルポジションの現物なのかキャッシュポジションが大きい一部の現物なのか。人それぞれによって最適解は違う。

言えることは、損切りしろ、という人は、トレーダーであり、ポートフォリオ運用ではないということ。そして、当たった外れたという人もトレーダーかディーラーか評論家であり、運用の専門家ではない、ということ。ディーラーやトレーダーで悪いということではなく、当てることを仕事としている人々ということ。それも立派なお仕事だ。

運用の専門家とは、最初から外れることを想定して運用する。リスクの量を決めてリターンの目標を掲げる。それだけだ。私が運営している ダイヤモンドの会員の皆様からは「マーケットの暴落を気楽に見られるので感謝している」とありがたい言葉をいただく。何故ならば、私は余裕資金が100あれば、株式投資には最大で半分で運用してくれと依頼しているから。そして私のポートフォリオも10%程度のキャッシュを残して運用している。半分はキャッシュ。株ポートの一部がキャッシュ。信用がない状況で、こういう暴落に、危ない!逃げろ!という必要は全くない。絶対に逃げずに戦うことを求め、そして、絶対に踏ん張ってくれと頼んでいる。ここで売りはないよ。買い増しは2ヶ月かけてゆっくりと。そういうことが運用であり、当たっただの、外れただの、議論するのが運用ではない。

投資の社会的な役割

投資をする、ということは、社会的な役割であり、「資本を企業家へ拠出する」ということだ。株式会社リンクスリサーチも、投資家の拠出した資本があり、回り回って社員の給与の支払いを可能にしている。上場していない企業では流通市場がなく、株価に一喜一憂することさえ、できない。株価をみて(見ようがないので)一喜一憂しないで株主は社長や社員は元気でやっているかなどということに気を配るもの。株主がよし、もっと頑張って業況を拡大したまえといえば、もっと資本を拠出して、社員を増やして設備を増やして事業が拡大される。予算を大きくしていく。こういうものは好循環と呼ばれ、立身出世の物語のようで楽しいフェイズだ。ところが物語の常として、波乱万丈であり、アクセルとブレーキを踏み間違えるというのが社会の常。投資をした途端に大不況というパターンも常。事業が拡大すると期待したら倒産の危機というのも常。だからこそ、投資家は、出資に当たっては様々な要因を分析して適正な金額で適正な出資をする。そして出資額以上のリスクは負わない。最悪でも資本が底をつくだけ。出資額がパーになることを恐れはしない。パーになる前に、社長や社員に発破をかける。それでもダメならもう一度発破をかける。それでもダメなら社長を交代する。事業を入れ替える。それでもダメなら諦めるということになる。

流通市場

こうした投資家としての流儀も態度も度量も覚悟もなく、儲かればいい、上がるかな下がるかななどと言っている人々がいる。ネット証券なるものに口座を開設して、何か良い銘柄はないかという。上場企業をマーケットで売買するセカンダリー投資家だ。投資家の中には、事業を応援する、社長を支援する、社員を育てるという意識を持たず、自分が買った値段のことばかり気にして、やれ下がった、また下がったとやきもきしたりしている人もいる。世間も、株式投資といえば、こうした東証やマザースの流通市場のことだと思っている。日経平均株価が暴落した、などとニュースになるのは流通市場での出来事だ。流通市場では株価が毎日変化するため、その変化を当てることを投資であると勘違いして、投資家の社会的な役割などというものはどこかへ行ってしまったかのような不思議な行動をする。例えば、損をした、とか得をしたと言ったりする。それは流通市場で値段がついたその日の値段のことを言っているのであろう。値段がつかない非上場株の方が圧倒的に多いのではあるが。自分が信じて株主になったのであれば、その事業を信じ、経営を信じ、将来に増加するであろう配当を楽しみに、企業を応援してみてはどうか。もちろん、流通市場の株価は一つの重要な情報ではあるが、再投資利回りという意味で重要なものではある。今の株価も一年後には全く違ったものになっているであろう。だが、そもそも基本的に長期では良い事業であれば株価は上がっていくものである。日経平均だって、最初は(とはいえ70年前だが)、200円にも満たなかったが、基本的には長期では上がっている。「投資を長期でデザインする」ことをリンクスリサーチではモットーとしている。

安定株主という岩盤

流通市場で基本的に売り買いしない投資家が存在する。安定株主というものだ。彼らは流通市場の株価は正直、見ていない。なぜ見ないかは見る必要がないからである。安定株主の存在は、企業の社員の固定給を可能にしている。安定株主は、固定給など、もらえない。もらえるのは事業がうまくいった時に配当が多少あるだけである。キャピタルゲインもなければキャピタルロスもない。ずっと保有し続けるのだから、あるわけがない。

一方、人々は生活をしていかなければならない。多くの国民は、固定給がなければ生活できない。固定給で働くと将来設計だってできる。当然、社会的には固定給がなければ安定した社会にもならない。その固定給がなぜ可能なのかを考えて見たことがあるだろうか。お金は空から降ってくるものではないので、企業が稼いだ金が回り回って社員の給与になるわけだ。ところが企業は景気の影響や事業の内容によって今回のCOVID-19の影響で閑古鳥がなく商売もある。事業利益は確約されたものではない。にも関わらず、COVID-19のこの騒ぎで自宅待機を命じられても正社員は動じず、給料の心配はいらない。なぜだろうか。それを可能にしているのが、リスクマネーを提供する安定株主の存在だ。この安定株主が抜けると、企業は雇用を維持できない。リンクスリサーチの株主が資本を抜いたら経営陣も雇えないし社員も雇えない。キャッシュフローは不安定になり、固定給は払えない。

長期投資は、負の連鎖を止める社会不安のストッパー

赤字になろうが、頑張っているならば応援するよという株主がいて、企業は事業が継続できる。そうした安定株主の社会的な役割は大きい。安定株主ほどではないが、それに近いのが長期投資家である。彼らは流通市場はエントリーのポイントとしては見ているかもしれないが、簿価はいつの間にか忘れてしまうような人々だ。企業の応援団であるという意識を強く持ち、その点では企業にとっては固定客(「資本」という商品のという意味)だ。企業というものは固定客は大事にするものだ。そして、政府がなぜ、経済危機に株主や株式市場への対策を優先させるかは、上の議論を読めばわかるだろう。株主の中には流通市場で売り買いする人々もある。こうした短期投資家が相場のよい時にだけ増加し、相場が悪くなるといなくなる。短期投資家は、資本をすぐに抜く。自分の利益を優先し、社会の利益を考えない。でも、それが悪いと政府は考えていない。高値で参加し安値で逃げるから投資が下手くそな人々だなあというぐらいにしか思っていない。固定客ではないから企業も本気で相手にはしない。だが、そういう人々の中で、ポツリ、ポツリと本当の意味で長期投資家になっていく人がいる。例えば、私の知り合いの億トレのほとんどはそうだ。理念ある長期投資家だ。例えば、アイルさんなどは、そんなに都合よく上がったり下がったりなど考えないという。素晴らしい長期投資の信奉者であり、長期に渡って勉強会を休むことなく継続されている。尊敬すべき投資家だ。都合のよい時だけ市場に資産を晒すのではなく、どんな時も資産を市場に晒す度量のあるのが億トレだ。そういう度量のある投資家が一人でも二人でも増えると企業の強力な応援団に育っていく。しかし、長期投資の考えが廃れてしまうと、このような動揺で株を手放すようになり、流通市場で株価を押し下げるのに一役かってしまう。株価が暴落すると、それを警戒のサインとみなす銀行などの一部の質の悪い安定株主が動揺する。安定株主の中にも経営者と敵対してしまうエセ応援団がいる。エセ応援団が日本を滅ぼしたことがある。土地バブル崩壊が起こって、安定株主のくせに、資本を引いたりする銀行が相次いだのだ。その時、影響は広く国民全員に及んだ。悲しい哉、本当に、多くの国民がリストラされてしまったのだ。企業は、こういう雨の日に資本を引く銀行ではなく、安定株主に性格の近い長期投資家、企業を応援し、流通市場の株価を気にしない投資家群を開拓しようとしている。実際には、そのために、IRを拡充している。

生まれたばかりの赤ん坊が役に立つのか?

配当が今後300年間、支払われる、投資の成果は俺が死んだ後で決まると思っているような気が狂った長期投資もある。もちろん、投資家個人は300年は生きないが、企業や投資スピリッツは生きる。簿価も知る必要もなくなるのは、今後何十年も配当が増えていくからだ。そんな長期投資をただ、応援しよう。たったそれだけの理由で、リンクスリサーチは存在している。よいサービスを提供している企業があり、よい商品を開発している企業があり、企業の営みを止めてはいけない、負の影響を与えてはいけないと、資本をずっと永遠に提供している人々がいる。短期の株価に一喜一憂しない人々である。

固定給をもらわない。確約を欲しがらない。でも、全力で応援する。アドバイスは求められるならばする。そうした投資家の姿勢は本来、とてもカッコイイものである。リスクは俺が取る。お前はしっかりやれ。これが投資家というものである。そのはずなのだが、暴落に怯えるというのは腑に落ちない。固定給が欲しいものは雇われの身でしかない。リスクテイカーには固定給はない。固定給がなくとも、損失を厭わず、覚悟を決めて、他者を応援するしかない。それが投資家というものである。流通市場の株価に怯えて、感染症が一過性のものであると信じることもできないならば、最初から投資などするべきではないと思う。応援したいから応援する。でなければこういう投資家業はやってられない。私は自分のポートフォリオは死ぬまでに投資額以上の配当が得られると思っている。そして死んでからが勝負だと思っている。死んでから配当は加速する。そんな企業だと思って応援している。確かに株価が動いて値洗いもして、ファンドの成績を出したり、それもファンドマネジャーの仕事だが、あくまで参考の情報であり、年々ジワリと大きくなる投資先の成長が長期になればなるほど、業況拡大が配当に反映されるのである。その配当の増加のあり様を評価して株価は存在している。ドタバタ流通市場で株価が影のようにフラついている時にも、実態のある価値は不変だ。確か、バフェットさんも同様のことをいっているはずだが。正確な言葉は忘れてしまった。流通市場の動揺による短期のマーケットの下落は残念であるし、多くにとっては、なんとも不愉快なものかもしれない。だが、いつかは戻るものに気を取られていても時間の無駄になる。しっかりと応援すべき人々を応援し、経営者に気合いを注入して発破をかける。

ひふみやホリエモンさんがロケットを応援している。宇宙だ。こうしたものは目先の20年は何も産まないが、50年経てば彼らの功績は歴史に残るだろう。ひふみ投信が基準価格を十倍にしても歴史には名を残すことはできない。何故ならば、金持ちになったからという理由で歴史に名を残した人は誰もいないからである。だが、宇宙開発を成功させた人々にホリエモンさんやひふみが名を連ねるということならば可能性は十分にある。モーターの原理を発明したファラデーは、それが何の役に立つのかと記者から質問された時に、「生まれたばかりの赤ん坊が社会に何の役に立つのか」と言った。ファラデーが何億円もうけたという話は後世には意味のないことであるが、モーターの原理を発見したというのは人類の金字塔の一つだ。

未来を信じて

気分が悪い時は、こういう時ほど、旅をしてみては。コロナで安い。病気の知識があればそれほど感染するものではない。また、大切な人にこういう時ほどプレゼントを買ってはどうか。そして、こういう時ほど、少し贅沢してみてはどうか。

日本はとてもうまく運営されていると思う。これまでの政府の病気へのハンドリングはなかなかのもので素晴らしい。政府を信じて、企業を信じて、長期のデザインをもち、日々の日常の努力を怠らないで生きたいものである。マスメディアも恐怖を煽ってくださったおかげで、不要不急の外出が減り、感染者の拡大をうまく阻止できている。人々もパニックになったお陰で、命を大切にして安全に過ごしている。旅に出て、散策しながら桜の開花を待ちましょう。