子育てコラム#18ー長男が三男に語った話 「勉強をしないでもらいたい人」 by yamamoto  

2019年12月18日

声優になりたいから英語や数学はいらない。だから勉強しても仕方がないということは、

俺は坊主だからヘアドライヤーはいらない。だから電気はいらないというのと同じだよ、と長男は三男に言った。

自分を磨くための勉強だよ。ピカピカに自分を磨くんだ。自分で自分を磨くんだ、と。

2018年秋、帰省した長男が三男を諭す (子育てコラム第18回です)

我が家は6人家族でした。妻、夫、そして4人の男児の家族でしたが、すでに長男は大学三年生で札幌で下宿生活をしています。次男は昨年春に大学受験に失敗。現在、一浪です。三男が高校受験を控えた中学三年生。四男は中学一年生です。ですから、いまは、5人で暮らしています。来春、次男が国立大学に合格すれば一人暮らしを始める予定です。こうして徐々に、子育ては終了していくのでしょう。寂しいといえば寂しいですが、最終的にはわたしには、ゆったりとした書斎、ベビーグランドピアノやステレオを置いた防音室を持つという老後の夢があり、内心でははやく子供には家を出て行ってくれないかなと思っています。

外資系金融機関に20年も居たこともあって、私の周りは、高ピシャな高級腕時計をじゃりじゃり、ドイツ高級車で通勤、住まいはもちろん、田園調布や麻布などの高級住宅街という外資系かぶれ(外資くずれ)が多かったのです。でも、わたしは、ボロボロでヨレヨレのワイシャツが擦り切れるぐらい着るのがかっこいいと思う社員でした。すべてスーツも時計も自動車も国産を通してきました。住まいは結婚以来ずっと下町、江戸川区です。だからなんなの?と言われるかもしれませんが、自分に贅沢するお金があるなら、寄付してきました。(妻に内緒で)

子育てのことは、過去のコラムで散々書いてきました。東京で当たり前の中学受験は百害あって一利なしと4人の息子は清新第一保育園、清新第一小学校、清新第一中学校と徒歩1分の公立に通わせたし、塾には小学校のときも中学に入っても行かせませんでした。どうしても、本人が行きたいという時に限り、何ヶ月か気持ちが変わらないことを確かめた上で塾に行かせました。家賃が安い江戸川区にありながら、清新第一中学は公立中学といえども、都立最難関といわれる日比谷高校に昨年は都内中学最多の6人を合格させるほど、学力が高い中学です。私立に行く必要がないのです。

私立がいけないというわけではなく、何十分もかけて自宅から通う時間の無駄や運動神経が悪い生徒が多い私立に行って息子たちが軟弱になるのが嫌だったのです。

(昨年、長男は北大医学部の野球部の先発投手としてT大と対戦し、完投しましたが、15−0でコールドで勝ちました。T大の試合前のノックを見ていて、正直、T大は運動神経がないな、と思ったのです。運動は小さいときにやらないとダメですから。T大医学部はほとんどが中高一貫の私立出身なのです。女の子投げする「かっこ悪い人」たちが多かった)

また、妻がよくいうのですが、友達ですね。私立の友達は、自然と裕福な子供ばかりになります。そうなると、考え方がパパママじゃないけれども、価値観に影響を与えそうだからです。我が家の家訓は「弱きを助け強きをくじく」ですから。金持ち喧嘩せずではなく、強者に立ち向かいボロボロになってこい、という考えで子育てをしています。

そのT大を次男が昨年受けたのですが不合格でした。次男は地元の公立中から日比谷高校で頑張りましたが、都立の3年間では現役で難関大は難しく、都立高校の生徒の多くは浪人をします。我が家は浪人することをむしろ奨励しています。理由は、かわいい子には旅をさせろ、苦労は買ってでもしろ、じゃないですが、息子たちには進んで挫折を味わってほしいからです。

子育て面で我が家で気をつけたこと

お金や親に頼るよりも自らの意思で現状を打開させることに苦心しました。お金の解決を許さず、工夫で解決せざるを得ない状況をつくります。

  • 子供部屋はなし。それどころか子供の専用の勉強机を与えない
  • 小遣いはゼロ
  • クリスマスプレゼントはなし
  • お年玉は3000円のみ
  • 兄弟げんかに親は口を挟まない
  • 兄弟を比較しない
  • 子供の公式試合(サッカー、バレー、野球)に応援にいく
  • 規則を課さない(ゲーム無制限、就寝時間を決めないなど)
  • 本人が希望しない限り、習い事をさせない
  • 長男をかわいがること(弟たちの面倒をみるようになる)

全く無勉強の三男が受験生となって

長男と次男は、中学校のときは優等生でした。内申書はオール5でした。そんな内申書をわたしは見たことがなかったのです。ところが、三男は中学になったとき、スマイル王子というあだ名で、にこにこしているのですが、全く勉強はしませんでした。内申書には3がたくさん並んでいました。ところが本人は平気で高校なんてどこでもいいと考えていたのです。

三男はバレーボールに打ち込んで、よい指導者や先生に恵まれて区大会で2回優勝をするなど、よい思い出を作ったのです。長男、次男は小学校のとき、野球チームで頑張ったのですが、三男はおとなしく、スポーツをやりたがらない子供でしたので、中学で運動部に入ってからも、わたしはついていけるのか心配していたのです。三年生の最後の大会までよく頑張ってくれました。

ただし、受験が近づく中学三年生になっても全く勉強をしない生活が続いていたのです。勉強しない三男を見て、家族は何もいいませんでした。本人の勝手です。三男はちょっとはやろうかな、さすがにやらないといけないのかな、という雰囲気は出しているのですが、気持ちがついてこないのでテレビゲームばかりしている毎日です。

そのとき、長男が1週間前、2日ほど帰省をしたときに、三男に聞いたのです。

勉強とは何か? 勉強は何のためにするのか?

長男が三男に、どうして勉強するのかと聞いたとき、三男はこう答えたのです。

ーよい高校に行って、よい大学に行って、給料の高い仕事につくためー

この三男の考え方に長男はかなりショックを受けていました。それは違うよと。

そのとき、長男は紙に書きました。勉強する理由、勉強してはならない理由などを。それを三男に見せながら、1時間ほど諭していました。親としてはありがたいことでした。

そのときのペーパーの写真が以下にあります。

長男は三男にいいました。

「幸せになることが人生の目標だとしたら、お金は目的にならない。なぜならば、お金持ちだからといって幸せとは限らないから。働くのは人のためだと思っているよ。勉強はただの道具。道具がなければ達成できないことがあるからやるだけ。お兄ちゃん(=長男のこと)は医者になりたかった。海外の一流の先生の手術を理解したいから英語を一生懸命やった。人が自分のせいで死ぬのは嫌だから。夜中の2時まで勉強するのは自分が知らなかった知識のために患者さんが死ぬのは嫌だから。

勉強という道具がなければ、医者になれない。だから道具としての勉強をしている。あと、自分を鍛えるのなら勉強はよい手段になる。ただし、スポーツ選手やピアニストになるなら、そのスポーツや楽器練習を通して自己を鍛えればよい。

鍛えないと困難に立ち向かえないから鍛える。お前も自分を鍛えろ。鍛えた人間しか世の中では通用しない。その意味で勉強で鍛えてみるといいよ。

お金のために勉強するのは間違っていると思う。道具だから、悪い方向にも使う人たちがいる。科学技術を悪用して核兵器をつくってしまう人々もいる。お兄ちゃんは、そういう人たちにはむしろ、勉強なんかしてほしくないんだ。そういう人たちは勉強してはいけない人々なんだ。お前もそういう人たちになるんだったら勉強なんかしないでくれ

人類がここまで発展できたのは勉強ができたから。勉強して将来、人の役に立ちなさい」

そして、勉強のよさは、先人たちが蓄積した知識にあやかれること。スポーツや楽器では達人に追いつくことは難しいが、勉強なら先人たちの力を借りてトップランナーに追いつけることなどを話していました。

 

(上の写真 長男が三男のために書いたもの)

長男が語った勉強の効能

  • 勉強することで他人の考えを理解することができる。他者への尊敬を持つ
  • 他国・異国の文化を尊重できるようになる
  • 集中力や忍耐力を身につけることができる
  • 勉強したことを社会に役立てることができる

三男の横で四男も長男の話を聞いていました。話が終わると調子者の四男は、「深い〜話ですねー」と一言。三男は少しニヤニヤしていました。わたしと妻は口を挟まずに無言でおりました。

実は、長男はこの秋、野球で肘を故障してしまい、部活を休部することになったのです。その間は仕送りいらないから、四男が塾に行きたいといったら行かせてやってほしいと言ってくれました。次男も長男と明け方近くまで話していました。

長男はわたしにいいました。親父、仕送り感謝しているよ。何があっても俺はおやじを応援するよ。弟たちは受験期で心が不安だから、いろいろ生意気なことを言ったりするだろうけど、受験がストレスなんだよ。そういって札幌に戻って行ったのでした。

(ペーパーの中で、多くの親が間違っていることとして、子供に勉強させる理由が進学のため、大学に行くため、となっていること。たとえば塾に行くその目的は、受験ではなく、子供に集中力や忍耐力をつけさせて、ピカピカに自分で自分を磨ける人間にするためではないか?と。勉強を自分磨きの手段にするのがよい、と長男は申しています)

自分を磨くことができるのは自分だけ ピカピカに磨こう

頑張れ受験生! 

三男は変わりました。全く勉強しなかったのですが、机に向かうようになったのです。わたしたちは目を丸くしています。四男は三日坊主になるだろうと予見しています。三男の机には以下のペーパーがありました。1日の勉強計画書です。こんな些細なものを見ることで、親は幸せになれるものです。頑張っている息子を見ることは人生の幸せでもあるのです。

さて、自分に気合をいれることができるのは自分だけです。三男に目標を聞くと、「できれば…..戸山に行きたい」(小さい声)

もちろん、今の実力では遠い目標です。ですが、どんなに遠い目標であってもないよりあったほうがよい。

(上の写真 三男が書いた初めての勉強計画書)

頑張れ受験生。親は応援はできるけど、それ以上のことはできません。

これを見て、わたしも自分に気合を入れて頑張ろうと思いました。

二人の受験生を抱えた我が家の戦いはいよいよ本番を迎えるのです。どんな高校でもどんな大学でもいいのです。親としては、子供をただ応援するのみ、ですから。

あとがき

偉そうなことを書いているのかもしれません。これはみなさんにお見せするような代物じゃないし、わたしの個人的な子育て日記のようなものです。公共のwebに載せてしまってすみません。

我が家では、家族同士が激しくぶつかり合うこともあります。そのときは、クールダウンしたら、お互いにじっくりと話し合うことにしています。失敗も他の家族よりも随分と多いはずです。

わたしたちのやり方では、天才は育ちません。絶対音感もつきません。芸術家は育たないでしょう。小さいときから習い事をさせているわけではないのですから。

次男からは、お父さんとお母さんはひどい。二人子供ができた時点で、あ、これはもう子供部屋つくれるギリギリの数だから、そこでなぜ打ち止めしなかったのか?と詰め寄られたことがあります。次男の同級生は彼を除いて全員個室を持っていたのです。彼だけが個室がないことが残念でならなかったのです。3人も4人もつくって、ごめん、部屋はないわ、じゃ親失格だよと次男に強く言われて、妻は涙ぐんで言いました。

「だって、そこまで考えてなかったもん」

わたしは次男に言いました。「お前はついていなかった。それだけだ」

だが、4人の兄弟は健やかに育ち、全員が携帯電話を持たず、全員が個室を持たないので、平等といえば平等なのです。大きくなったときに、うちはひどい家だったなと兄弟4人でいつか笑い飛ばしてほしいのです。

女の子が欲しかった妻は、4人の誰かがオネエになってくれないかな、そうすれば一緒に仲良く買い物にいけるのにと言っております。今のところ、そういう兆候は息子たちにはないのですが、わたしも、そういう尖った「女の子」がいたらいいなあと時々思うのです。

2019年12月18日子育て・教育

Posted by 山本 潤