子育てコラム #7 子供のやる気を引き出す その4

2019年12月19日

■~なぜ基本が大事なのか~(子育てコラム第7回)

今回は、やる気シリーズの第4回目です。
何事においても、基本が大切であるということ、
それはなぜなのかについて、なんらか、みなさまが納得していただける内容をと考えています。

■小さなことの積み重ねがわずかな差を生じる

日本電産の永守社長の有名な言葉「能力の差は2倍。やる気の差は100倍」。

その差は、
*「どうしても勝つんだ」という意識の差であったり、
*必要な場面でミスがあったかなかったかの差であったり、
*いつも心の準備ができているかの差であったりするでしょう。

野球では、キャッチボールを最も重視します。
投げて受ける所作の中に、このスポーツの最も大切なことが凝縮されているからです。
(※野球は、投げ方=打ち方となっているスポーツなのです)。

野球に限らず、どんな競技でも、あるいは、どんなビジネスでも、基本の動作は、個人が努力して身につけなければなりません。
組織が個人の基本動作を肩代わりすることはできないのです。

■ちいさな基本の積み上げが、高みへと通じる

野球では、アウトをひとつづつ積み上げていきます。
ストライクをひとつづつ、積み上げていきます。
ひとつのアウト、ストライクの中に、プロの技が凝縮されているのです。

同様に、ひとつの作業プロセスの中に、各人の強みが凝縮されています。

メジャーリーガーのイチロー選手は、
「高く積み上げるためには、低い位置から一歩づつ始めなければならない」
という主旨のことを言っています。

ひとつひとつの基本作業は地道であり、ひとつのプロセスのひとつのちいさな地道な作業の中にこそ、
プロとアマとの差、つまり、雲泥の力量の差が知覚できるのです。

そのちいさな基本を数万、数億と積み上げていく中で、最終的には、大きな差が生じてくるのです。

■アマはテクニックに走り、プロは基本を磨く

どの世界にも上手なアマは沢山います。
音楽の世界で、ドラムで、難しい技を繰り広げるのはアマテュアです。
プロは、技ではなく、ひとつひとつの音の意味にこだわります。

4ビートの基本的なスネアドラムの音を聞いただけで、プロかアマかは判断できることを知っていますか。
アマは技にこだわり、プロは基本を磨きます。
アマのドラマーのほとんどは、もっとも基本的な動作のひとつである、たいこから出てくるズドンとくる「音量」が不足しています。
また、アマは、音量が足りないだけではなく、音量が安定していません。

「ドン」「パン」というひとつの音に本物の質感がこもっているのがプロです。

中日ドラゴンズの落合元監督は、「プロに大切なものは、スタミナ」であると論じ、選手に2007年の就任当時、猛練習を課しています。
アマでは、基本的な体力が少々足りなくても、ごまかすことができます。
プロは、ダントツの体力がなければ、力を継続的に発揮することはできません。

ちょっと前の話で恐縮ですが、2007年キャンプ時点での、日経新聞のスポーツ欄によれば、
ノックによる守備練習では、
「飛びついたり、横っ飛びになったりするプレーをしても評価されず、判断よく打球に回り込むこと、
捕球後にスローインがしやすい体勢をつくることが評価されている」とありました。

プロは、派手で気持ちのよいプレーではなく、地味であっても、次の準備、次につながるプレーが評価されるのです。

■基本を会得するには長い年月がかかる

スポーツでは、頭では完全にわかっていたとしても、身体はイメージの通りに反応してくれません。

数学の問題では、解答を見れば、理解できる事柄でも、自分で実際に問題を解きはじめると、これでいいのかなと不安になったりします。

英単語を完璧に覚えていても、英会話では、十分に話すことができない場合もあります。

そのような基本動作は、何年も必死に努力して、ようやく身につけることができることなのです。
見かけ上では、大したことのない、単なるバッティングのステップをひとつとっただけでも、
英単語のひとつをとっても、長期に渡る努力が要求されるのです。

■どんな複雑な動作も単純な基本動作に分解できる 

どんな複雑な動作も、作業も、仕事も、細かく分解すれば、基本動作に落とせます。

リストやラフマニノフの難曲であっても、ひとつの小節だけに切り取り、ゆっくりと弾けば、再現可能になります。

それらの基本動作にのせるための、仕事の分解作業は、ある意味、単調です。
しかし、短いひとつの小節だけの練習であれば、3-5分の空き時間でいつでも練習できます。
「細切れの時間を見つけては、基本動作を練習する」というのがプロなのです。

わたしの知り合いのプロのピアニストは、歩行者信号が赤の間の1分間に、楽曲1小節を右手左手でイメージトレーニングをしていました。
また、新幹線で東京から京都に行く間に、初めての楽曲を頭で整理して、小節ごとに「練習」していました。
京都につくころには、「ここにピアノがあれば、多分、もう弾ける」といっておりました。

このように、
「人生のすべての空き時間をひとつのことに費やしてしまおう」
というのがプロ
なのです。

「どんな複雑な仕事であっても、単純な基本動作に分解できる」のがプロとアマの違いです。
言い直せば、
「どんなに最終的な到達地点が遠くても、そこに至る必要なステップを順序良く並べられるのがプロ」なのではないでしょうか。

■到達点はないが、基本がなければ出発さえできない

基本動作が100あれば、その100の動作から無限の応用力が生まれます。

基本を習得することなく、人生に成功はありません。
わたしの人生の理想は、向上心、上手くなりたいという熱意をもちつづけ、ひとつのことだけをやり続けることです。

もっとも得意なこと、自信のあることだけをやり、それがゆえに、いつも楽しく、人生を謳歌する、というのが、理想です。

単調な繰り返しにすぎない基本の反復練習を、なぜ、プロが重視し、なぜ、アマが難しいことばかりをしたがるのか、よく考えてみるとよいでしょう。

基本の深さと大切さを理解して、単調な作業を真剣に精査し味わうのが、プロ。

スパン!という1つの音で聴衆を圧倒するドラマー。
足を振り下ろしたときに「ドン!」という地鳴りのする打者。
つくっては壊す陶芸家。
新幹線で音符をすべてさらう音楽家。

すべての時間を反復練習にささげたものたちの強さは、観る者を感動させます。
機転の速さや頭のよさで立ち回ることで、強くもなれないし、創造的にもなれません。

プロは、いくら高く上がっても到達点というものがありません。
いや、「いつまでも到達できない」世界への憧れが、彼らを今も未知の境地へと駆り立てるのでしょう。
到達できない世界へ1ミリでも近づくことが、人生の幸せであり、
そういう類の幸せを、しばしば、実感できるのが、本物のプロフェッショナルではないのでしょうか。

基本を積み上げたとしても、到達点はありません。
しかし、基本を積み上げなかったとしたら、どこにも出発できないのです。
基本ができなければ、袋小路の閉塞感に押しつぶされてしまうのです。

■P.S プロとアマにこだわりすぎでしょうか?

なんの資源を持たない日本が世界有数の国力を謳歌できるのは、平均的な国民の学力・知力に拠るところが大きいと思っています。

現状の日本は、知力・学力にやや衰えが見れるとはいえ、財力や資金力といった「投資力」に必要な国家としての基礎体力は十分にあります。

「すべての職業はクリエイティブなものにできる」、
「すべての職業に、プロフェッショナルがいる」、という精神でこのコラムを執筆しました。
わたしは、この国のすべての人がプロ意識を持てば、日本は世界のお手本となり、21世紀のユートビアとなると考えています。
プロ、プロ、プロとこだわることに、違和感があるかと思いますが、何卒、お許しください。

わかりにくい例だったかもしれませんが、野球におけるバッティングの足のステップというひとつの単純な動作にさえ、
驚くべきほどの労力と努力が注ぎ込まれているということを、伝えたいなあと思います。

とはいえ、わが身を振り返れば、
基本を大事に…といわれても、なかなかできないのが、わたしのような凡人です。

早寝早起きを基本としようとしても、ついつい夜更かしをしてしまいます。
節制が重要であるとわかっていても、深酒をしてしまいます。
百害あって一利なしの喫煙。
運用の仕事でストレスが溜まると、コンビニに深夜かけこんで、公園で一人、打ちひしがれて・・・スパスパスパなんてやっています。
そしてその次の日、買ったばかりのたばこのパックをもったいないと思いながら、ゴミ箱に捨てたり。
腹八分目がよいことがわかっていても、ついつい満腹になるまで食べてしまいます。
相手のために諭すように教えなければならないことでも、怒りにまかせて人をどなってしまったり・・・
ああ、未熟だ。未熟だ。嫌になっちまう
言うが易く、ですね。

Enjoy Every Moment!
山本 潤

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2019年12月19日子育て・教育

Posted by 山本 潤