子育てコラム #6 -子供のやる気を引き出す その3- by yamamoto

2019年12月19日

■若者の甘え。子供の甘え。社員の甘え。組織の甘え。 共通するバックボーン(子育てコラム第6回)
甘えとどう戦ったらよいのでしょう?

勉強すること、学習することに、意義が見出せないすべての方々に。
甘えはいけないのだが、努力を強要しては、すべてはぶち壊しになるーーーーその微妙な狭い隙間に絶妙のパスをどうしたら出せるのか。
今回は、そのことばかり考えて一週間経ちました。一定の考えがまとまったのでご報告いたします。

以下のようなもっともらしい考え方があります。
1)偏差値が高い大学に行っても、リストラになる。だから、勉強しても仕方ない。
2)反復練習は無味乾燥じゃないの。
3)いま、人工知能が英語なんか訳してくれる。英語なんか勉強しても意味ないじゃん。

これらの共通するのは、ダメなことを確認して、なにもしないこと、やらないこと。 要は、まず、否定する。否定したら、もう、なにもする必要はない。否定することが仕事になる。 こうした「努力しないこと」を「努力の省エネ」と言い換えることができます。 批判するばかりの相手に対して、実は、何をいっても仕方ないんです。 勉強は、人間の権利であって、義務ではありません。でも、わからない人にはわからない。 響かない人には響かないですよね。 「挑戦する心を磨くこと」が学習です。 そして、学習は、手段にもなりますが、それ自体が目的にもなる、というものです。 反復練習か、応用問題か、ではなく、反復も応用もどちらも重要です。 もっと、もっと、もっと、反復練習も応用練習も、必要であり、それらはいくらやっても、十分ではないのです。 どんどん、どんどん、勉強しましょう。勉強は楽しい、楽しい、楽しいことです。

■ 質量ともに圧倒的に足りない

たとえば、英語の学習においては、コミュニケーションが実務上できるレベルは、TOEICなら満点ではないでしょうか。 700点、800点、900点は、あくまでも通過点で、満点をとることが、実務家であれば求められます。 そのためには、学校教育で習うような1000語や2000語といった語彙では、到底、不十分です。 10倍の語彙力がなければ、役に立つレベルとはいえません。 しかし、他の日本人との比較において、「何点ぐらいとれば偏差値が60」というもったいないレベルで落ち着いてしまう。

■ 二者択一の偽り

「AかBか」ではないのです。 「AもBも」重要であり、 Aが足りないのは、Bのせいではなく、 Bが足りないのも、Aのせいではないのです。 父親世代がリストラされたことは、たしかに、「偏差値が高い大学に行っても、リストラされることはある」を意味します。 だからといって、「偏差値の高い大学に行っても仕方ない」を意味しません。 「偏差値が低ければ、たとえば、中退者ならば、真っ先にリストラされた」かもしれません。 また、大学へ行くことは、就職の手段ではありません。 自分にとっての、生きる目的を見出す大切な期間です。 学校は、「甘え」=「批判となにもしないこと」と決別し、挑戦できるだけの知力を養うところです。

■ 甘えん坊とプロフェッショナル

大きくなって、いまだに親を暮らしていたり、経済的な自立を目指そうとしないのは、「甘え」です。 世間から、認められないのも、技能を磨いてこなかった過去の過程の結末です。

●甘えは論理を不明確にします。
●甘えは善悪、真偽をあいまいにします。

「プロフェッショナル」の対極が「甘えん坊」です。 甘えん坊では、プロには、到底、なれません。

■ 甘える側の論理(甘えは動物の本能)

どうやら、今回のコラムの示唆は、 「やる気を阻害するの要因のひとつは甘えだ」 ということになりそうです。 甘えとは、何でしょうか? 甘えの定義は難しいのですが、 甘えとは、 「しない」、 「できない」、 「やらない」ことへの現状追認の態度とでもいいましょうか。 「よい大学へ行かなかったから、よいところへ就職ができなかった」 「先生の教え方が下手だったため、テストでよい点がとれなかった」 「お母さんが7時に起こしてくれなかったから、学校に遅刻した」 「塾に行かせてくれないから、成績が上がらない」 「お金がないから、あきらめた」 「ずるい」 甘えとは、 「~がないから、しない」 「~があれば、やるのに」 「~のせいで、できない」という思考です。 「まず、自分。他人は後から」なのです。 「面倒くさいのはいや」。 甘えの底流にある哲学は、 「楽して成果をあげたい」、「楽なままの状態を維持したい」です。 現状を追認するのは、自分がかわいいからです。 甘えとは、生物の持つ生存本能です。 面倒くさい、なにもしない、ぐーたらな状態は、エネルギー状態でいえば、「低」のレベルです。 水は高いところから低いところへ流れます。 エネルギー(生きるちから)も低いところで落ち着こうとします。 楽な状態を続けようとするのは、生物の属性でです。 同様に、「楽して成果をあげたい」という人間は結局、成果をあげることはできない、ともいえます。 「楽して得したい」という本能(=敵)は、学習(教育)によって克服するしかありません。 教育がなぜ重要であるか -  むき出しの生存本能のまま、子どもが大きくなれば、甘えん坊(=低エネルギー、低モーチベーション)になってしまいます。 ちゃんとした教育をすれば、甘えん坊を大人とかプロにできます。 甘えん坊に甘えの自覚を持たせることが教育の主旨ではないでしょうか。

■ 甘えてはいけない - フリーターのA君へ

メールをくれたA君。 28才男性のフリーターです。 わが社で、「無給でよいから働く機会がほしい」との懇願のメールでした。 しかし、弱肉強食のヘッジファンド業界にいま、彼の実力で、入ったとしても、わたしの足手まといになるだけです。 厳しいようですが、自分なりの努力をした後で、「出直して来い」と返信しました。 冷たいメールを送ったためでしょうか、わたし自身も気がめいりました。 フリーターのA君、君へのメッセージです。 (君を拒絶したわたしのメッセージを読んでくれるだろうか。) さきほどのことです。 電車の中で、子どもが靴を履いたまま、座席に立って、車窓の外を見ていました。 お母さんが隣で、そわそわしながら、注意していました。 「靴を脱ごうね。こわーいおじさん(=わたしのこと)に怒られちゃうよー」と。 こんな的を射ない注意の仕方ってあるでしょうか(笑)。 「なぜ勉強するのか」 「なぜ甘えてはならないのか」 この問いかけに、どう答えますか? 甘えてはならない理由とは、なにか。 たとえば、「楽して成果をあげた」としましょう。 努力もしないで、何の対価も払わずに、大きな成果をあげたとしましょう。 そこに、どんな充実感があるでしょうか。 どんな感動があるでしょうか。 どんな達成感があるでしょうか。 楽して成果をあげたとして、そこに感動がなければ、その成果に何の意味があるのでしょうか。 積み木を背の高さよりも高く積み上げた子どもは、喜び、その成果を回りに報告します。 最初から積んである積み木に感動があるのか - ということなのです。 甘えるのは、楽です。 楽したいという気持ちは、自然です。 しかし、それでも、甘えてほしくないのです。 甘えるな - なぜならば、 甘えれば、真理から遠ざかってしまう。 甘えは、感動から遠ざける。 甘えは、本物からも遠ざけてしまうからです。 甘えていては、真の喜びを味わうことはできません。 甘えからは、感動も生まれません。 何の達成感もいらない、 何の充実感もいらない、 自分の人生に感動はいらないというなら、 今のまま、存分に、甘えてよいでしょう。 しかし、そうなれば、人生は、感動とは無縁になり、生涯、「本物だけが持つすごさ」に、ふれることさえ、できなくなるでしょう。

■ 氷河期を経験したA君や就職できなかった若者のこと

就職活動をした時期が、たまたま不況期にあたり、希望した会社に入れなかった作家志望の若者がいた。 彼には「甘えるな」という精神論は、手厳しく、不合理に響くでしょう。 大学卒業のとき、小説家になりたくて、フリーターになった。 そのきっかけは、正しいとわたしは思う。 ただ、身体を壊してしまったり、 壁にぶつかって、 小説の勉強も、とうとう、やめてしまった。 28才になって、いま、いつ、どうやって、やりたいことを見出すか、を真剣に懸命に考えた。 確かに、就職氷河期を経験した分、他人にやさしくなれた。 氷河期にも意味があった。 「だれもがプロになる必要なんてない」と思うかもしれません。 しかし、わたしは、そうは思いません。 人生をかけてもよいと思えることをなんとか見出して、それにかけてほしいのです。 ひとつの分野にフォーカスをして、その分野の専門家になってほしいのです。

■プロとリーダーシップ

前向きさ、積極性、行動力といったリーダーの資質は、誰もにも最初から備わってはいません。 リーダーシップとは、現実を変えたいという思いです。 また、みんなをよい結果に導きたいという態度です。 リーダーシップは、世の中を少しだけ動かすことができます。 だまされたと思って、行動してください。 まずは、小さなプロジェクトでよいでしょう。 お世話になった親をサプライズ旅行につれていく、でもよい。 自身が立案し、計画し、リーダーシップをとる、小さな一歩を踏み出してほしい。 サークルや飲み友達とでもよいでしょう。 お別れ会、誕生日会、なんてよくないですか? パーティを企画するのです。 場所、会費、びっくりの出し物、演出、ひとつひとつ、サブのリーダーを置いて、お互いがリーダーとして、ひとつのイベントを催してほしい。 それらイベントをまずやってみて、その結果、少しだけでもいい、 人生の充実感があってくれればなあと思います。

■ リーダーシップのシェアリング

仲間とリーダーシップをシェアしてみてはどうでしょうか。 いくつかのプロジェクト、案件は、それぞれがやりたいことを決める。 みんなが仲間となり、リーダーを手伝う。 誰もが、ひとつのプロジェクトでは主役になるのです。 まずは、小さなプロジェクトの主役から始めてはどうだろうか。 日本のフリーター全員が、リーダーシップを学ぶ必要はない? わたしはそうは思いません。 この国の教育水準は、落ちたとはいえ、それでも、尚、世界最高水準です。 今後ますます、日本には、世界を導くリーダーとしての役割が世界から求められています。

リーダーシップとは、態度であり、君の思いひとつで、身に付くものです。 また、プロフェッショナルは、一瞬の態度ではなく、何十年と月日を積み重ねて深めていく「過程」のことです。 一瞬の態度を積み重ねてプロへの過程をつくってほしい。

■ 時代の風になってほしい

世界では、何十億人という人たちが、文字が書けません。 文字が読める君たちは、情勢を分析する基盤があります。 文字が読めるために、自学もできます。 「派遣と正社員との差」、「男女の差」、「就職氷河期とそうではない世代との差」。「親の世代との差」。 ちいさな日本の中で、近所のおばさんから批評され、近所の同級生と比較され、若者たちは、確かにかわいそうです。 (でも、それをいっても始まらないのです。) 「みんながリーダーである必要はない」、 「みんながプロフェッショナルになる必要はない」、 「企業の歯車も重要である」とわたしは思いません。 みんなに、プロフェッショナルになってほしい。 リーダーシップをもって、世界をリードしてもらいたい。 組織の歯車になんかなってほしくない。 日本人全員がリーダーになったって、世界が求めるリーダーの人材募集のキャパシティは埋まりません。 世界は大いなるリーダー不足なのです。 世界は、日本人を、前から、昔から、ずっとずっと必要としていたのです。 (数十億人が困っているのですから!) 僕らが気が付かなかっただけで。 数十万円で、学校で出来る、 数万円で、井戸が掘れる、 そんな世界が一方で、あります。 切実なニーズが数万円で実現できる場合だってあるのです。 資金力もプラニング力もあり、教育も十分に受けてきた日本人が、世界で大きな仕事ができないはずはありません。 企業もグローバルです。 世界は、そもそも、なんといっても、グローバル。 日本の若者が、世界でどれだけ大きな仕事ができるか、については、この変なおじさんが保証します。 本日、まず、小さな、一歩を踏み出してみたらどうだろうか。 これまでの甘えと決別し、世界のリーダーとしての一歩を。 甘えを捨て去った、リーダーとしての一歩は、現実を変える一歩です。 自分自身を変えるスーパーショットとなるのです。 遠くにある目指すべき目標(一流のプロフェッショナル)への第一歩です。 氷河期という貴重な体験をしてきた君たちは、きっと、時代の風になるでしょう。 そう、世界精神を体現する時代の風は、日本から吹く、とわたしは信じています。

■ まとめ

●やる気を阻害するのは甘えなのでは?
●甘えは、生存本能であり自然な態度
●甘えは、論理や善悪や真偽を不明確にする
●甘えは、人間を真理や本物や感動から遠ざける
●甘えん坊はプロフェッショナルの対極
●リーダーシップを学べ - 小さなプロジェクトでよいから自分で企画立案してほしい
●甘えと決別し、プロを目指してほしい
●日本の多くの若者がリーダーシップをとれば、日本は世界のリーダーになる
●個人のやる気が世界を変える
●楽して成果をあげたとして、その成果になんの意味があろう
●楽して儲けても、大きな感動はない、充実感はない、達成感はない
●余裕のある職場と甘えない自己規律があれば、能力の差を越えて、プロになれる

Enjoy Every Moment! 山本 潤

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2019年12月19日子育て・教育

Posted by 山本 潤