投資家とは何か? by yamamoto

投資家ってどんな人たちなの?と言われると、めちゃくちゃかっこいい人たちですとしか答えようがありません。

まず、投資家は経営者を応援します。応援ですから業績が厳しい時ほど応援することになりますね。

投資家が企業から資本を引いたら企業は成り立ちません。経営者が企業を経営できるのは社員がいらっしゃるから。資本を抜かれたら企業は社員を雇えません。市場参加者のほとんどは投資家ではなくトレーダーです。株を売買することで利益を得るのがトレーダーですね。投資家というものは株を売買することはなく、配当を得るのみ。

投資家が経営を支えていることは明らかです。一方で、経営者は会社をしっかりと経営し、社員がしっかり働くことで、事業利益が出て投資家は配当を得ることができるというわけですね。

投資家は資金の面で経営に協力するわけです。経営者は投資資金をヒトとカネとモノに投入するわけです。経営計画を実行する手腕が問われるわけです。顧客は企業の提供するサービスや製品から対価以上のメリットを感じることで売上が立ちます。

投資家は消費者(コンスマー)ではなく創造者(クリエイター)

投資家は、うまく行くかわからない段階で投資をするので、提供した資本がなくなってしまうこともあります。事業が見通しと違う展開を見せてしまうことがあるからです。うまく行くことを見越して投資をしても、そうは上手くいかないのです。そのリスクを負うからリターンを得る権利が持てる。リターンは事業利益からの配当です。社員も経営者も取引先も全部まとめて上手くいってくれるように手配するのが投資家の役割です。経営者が企業を私物化気味であればその脇見運転を諌めるのが投資家の役割です。また、人件費を払ってトントンになってしまう事業では投資家のリターンはゼロです。これでは投資が回らないのですから、そこは少しでも利益を出すようにと費用管理を経営者に要求することも投資家の仕事の一つです。経営者に全力を尽くしてもらえるようにゲキを飛ばすこともあります。また、投資家とは、経営者の最大の理解者でもあるのです。精神的にも資金的にも企業を応援するのが投資家の役割です。

投資家というものは、世間一般的には、利己的で、自分の利益しか考えていないと思われがちです。

それは間違った認識です。

実際、投資家というものは、事業全体が上手く回るようにと考える人々だからです。

自分のお金が社会のために最大限生きるようにと、リスクをとり、お金を循環させ、実際に、社員の雇用を守っている人々です。

流通市場で売買される上場株の場合、投資家が株をマーケットで売っても、新たな買い手に渡るだけで、資本の増減は生じません。しかし、マーケットで誰も買い手がいない場合、企業は自ら資本を取り崩さなければならないのです。投資家の判断が社員を路頭に迷わせるのです。流通市場があっても、それがサインになり、逆に企業が倒産してしまうことは多々あります。バブル崩壊後やリーマンショックで100円を割れて急落するような株式の多くが上場廃止になったことを思い出してください。

投資家は、自分の拠出したお金のことは二の次なんです。自分のことよりもみんなのことを考えているのです。事業が再投資によって拡大していき、多くの顧客が喜ぶ姿を見ることが投資家の喜びなのです。自分が応援している経営者が事業を拡大していくことが生きがいなのです。

世の中一般の社員の皆様は、投資家のマインドを持つことはなかなかできないと思います。例えば、花火大会。

花火大会で、多くの参加者は、「わー綺麗だなあ。花火っていいね」「また来年も見ようね」と大会そのものに参加して楽しみ、それが当たり前のことと感じるでしょう。投資家はそのような参加の仕方はしません。投資家であれば、どれだけの準備が必要になったのだろうか、何人のボランティアが参加してくれたのだろうか、実行委員の方々の苦労はどれほどなのか、何発の花火を上げ、何人の職人が関わったのか。トータルの費用はどの程度であるのか、そして、イベントを毎年続ける労力はどの程度なのかが気になってしまう。それが投資家です。投資家であれば、自身が単にイベントに参加することはほぼなく、なんらかのイベントに自分から裏方で積極的に関わろうとする人種。それが投資家です。投資家とは黒子。イベントを作る側の人の立場。応援する人です。一方で、消費者とは投資家からの贈り物を受け取る人々です。

このように考える人はほとんどいないと思いますが、自分が花火を見てああ楽しい、綺麗だなあと良い経験をする価値と、自分が主催して、多数の例えば10万人の方々に、良い思い出を提供することの価値と、どちらの価値がより重い価値でしょうか。もちろん、後者です。それが投資家のマインドです。

例えば、仕事(事業の最小単位)もそうです。仕事でも投資家マインドは発揮できるでしょう。私は自分のお金の運用には全く興味がありません。たかだか100億円が500億円になったとしても、自分のお金が1000億円になっても、それはつまらないことです。多くの人々にとっては、どうでもよいことです。社会的な意義はゼロです。

そうではなく、数百人の方々であっても、自らの考えを広めたり、自らの技術を他者へ継承していくことは、大きな社会的なインパクトになるのです。人は学ぶことができる。そして二人が学べば、その二人からさらに四人が学べる。その四人から八人が学べるとどんどんと新しい思想や技術が普及していくのです。

私事で恐縮ですが、私はファンドマネジャーとしてお客様のお金を増やすのが仕事です。それは自分のお金を増やすことよりも、格段に社会的な価値があることです。自分のお金ではないから運用のプロは育つのです。自分のお金の運用では、私は運用の技術を学べなかったでしょう。どうしても自分のお金のことなど、大したことではないと思えてしまうからです。自分のお金を増やすより多数の顧客に価値を届ける方が圧倒的に重要!!なのですから。自分の株の売買ができなくても損ではありません。社会全体では自分の仕事で大きな得になっているのです。1000億円を超えるリターンを20年で提供してきた。自分のお金のリターンなど、しれたものです。社会的な意義は圧倒的に顧客の資金を運用するから生まれるのです。これを残り20年で100兆円の規模のリターンを作ることはできるのか。不可能ではないことは確かです。99.9999%不可能かもしれませんが…10兆円の資金を運用することは夢ではなく現実的なのです。大ボラですね。今の段階では…

投資家! 応援! 幸福!!!

ともかく、投資家というものは、世の中で一番、かっこよい人々です。経営者を応援し、社会を根底から支えているからです。花火を鑑賞する立場ではこの幸せ感は得られません。花火大会に参加するのではなく、主催する側になること、すなわち、事業や仕事を自らプロデュース/サポート=応援することが投資家にとって、何ものにも代え難い幸せなのです。

もしかしたら仕事というものもそうかもしれません。どんな仕事も他者を支えるためのものですから。

そして他者を応援する人生が最も幸福な人生です。

投資家は全員が幸福な人々です。株価が下がったとかくだらないことで気分が左右されるようなことはありません。不安な時間を費やしたりはしません。とにかく応援する。応援。応援。応援。

応援団になれば、仕事も運用も全体というものが見えていきますから、結局は大局的には人生がなぜか有利になるのです。自分のことを最後に回す人が、全体がわかるからです。全体がわかるから成功もしてしまう。

自分のお金の増減が気になって仕方ない人は、全体の一部しか見えていないから成功しそうにありません。投資はやめた方が無難です。向いていませんので。

私のお願いとしては、株価よりも応援。他者を周りの人々を応援しましょう。応援。応援。応援あるのみ!

成長株投資の哲学  

Posted by 山本 潤