COVID-19の最大影響と暴落相場と長期投資 by yamamoto

2020年3月29日

COVID-19の蔓延で世界が危機だという。政府が自分で経済を止めて危機だというのだ。なんの危機なのかということが投資家と世間一般では違っている。政府がいう危機とは医療危機であり、医療崩壊を招かないための全力対応だ。投資家のいう危機とは、恐慌の危機であり金融危機である。

どうも危機が混同されているようにも思える。

医療崩壊を恐る政府は正しい。隔離政策が厳密に運用されると感染病院の病床はいっぱいになる。軽症でピンピンしているのが感染中の95%なのだから軽症者が何週間もベッドを占拠するのはあまりにもバカバカしいことであり、そのために、重篤者が入院できない。そうなると、医療現場は疲弊するし、医療従事者がストレスを抱えてしまう。医療崩壊は悲劇としかいいようがない。日本でも、これほど大量の感染者が出てきたら、軽症は家に返して自宅で我慢して2週間を過ごしてもらうしかない。

ニュースとはなんぞや。不安という空気で膨らませた風船のように不安を煽り立てている。

世間では最悪のケースを数字の遊びのように計算する大学やリサーチハウスがあるが、そのもっともありえない前提が、「COVID-19は新しい病気で人間には免疫がない」という前提だ。免疫がないから人類の10割が感染する。あるいは少なく見積もっても全体の6割が感染して集団免疫を獲得するという。本気でそう言っているとしたら、その研究機関は廃業すべきではないか。

武漢、ライブハウス、屋形船、クルーズ船プリンセス号の例を見たらわかるはずだ。密閉(換気なし)、密集、近距離の発声。この3つの要素が揃った空間で数時間過ごすとクラスターとなる。そのもっともたるクラスターがクルーズ船であった。乗船3500人のうち、3500人が感染したのだろうか。いや、感染したのは700人程度だ。全体の20%。病気の知見なく、対策も混乱した感染初期にあり、密室・密集の空間で数週間も閉じ込められたクルーズ船の乗客には大変な事態であった。それでも全体の80%の人々は病気にならなかった。なぜであろうか。8割については、彼らに備わった免疫システムがコロナに打ち勝ったからであろう。

個人的なことで恐縮だが、インフルエンザにはわたしは何十年とかかったことはない。なぜならば、日頃から免疫を落とさないように努力しているからだ。よく休み、睡眠不足を避け、規則正しく生活する。夜更かしはしない。こうした努力によって、我が家においてもインフルとはずっと無縁である。長男、次男、三男と高校や大学の受験を済ませたが、ワクチンは打っていない。我が家は規則正しく生活している。免疫が強すぎるのだろうか。

さて、感染の初期、ある屋形船でタクシー会社の宴会があり、武漢の顧客を乗せた運転手が感染。さらに、屋形船で感染が広がってクラスター化してしまった。100人の定員に対して10%程度が感染した。どうやら数時間であっても大声で盛り上がる酒宴の場合、感染率は高くなるようだ。それでも、だ。全体の9割は感染しなかったのはなぜだろうか。やはり、彼らに自然な免疫システムがあったからであろう。これは大阪のライブハウスも同様だし、武漢という都市にいたっても同様だ。武漢は人口の1%が感染していない。感染しても無症状のものがその10倍いたとしてもせいぜい、人口の10%だ。集団感染で都市封鎖された武漢でさえ、9割は感染しなかったのだ。

最大で4000万人が死ぬとされたある調査会社の前提では、人間は免疫をまったくもたないという、とんでもない前提をとっていた。そんな前提を立てたら風邪でも何千万も死んでしまう前提ではないのか。あるいは、社会規範の違いによって、一人の感染者が何人に病気を感染させるかというR0という指数も、前提を2−3とする研究機関があるが、アジアでは1程度である。

結論からいえば、津々浦々、おしなべて、クルーズ船のような密閉、密室、近距離発声の飛沫の飛び散る環境に世界の全人口の80億人がさらされているのか??という一般常識問題である。そして手も洗わずマスクもしないで濃厚接触を繰り返すのか。このような注意が喚起された中で換気もせずウイルス除去機も使わず消毒もなにもしないのか。検温もせず病気の参加者を野放しにするのか。そんなわけないだろう!! バカも休み休み言えよ。「ぼーーーと生きてんじゃなねぇーよー」とチコちゃんは怒るでしょう。こんなことは、公務員試験よりも簡単な問題であり、運転免許の学科よりも格段に簡単な問題である。公衆衛生が高い国や医療崩壊が起きない国では、誰も死なないということもある。実際に死者がゼロの国は数多く存在する。

湖北省の感染者は68000人程度で中国全体の感染者は82000人。つまり湖北省以外の中国の感染率は人口比で0.001%である。韓国の感染者の人口比は0.02%である。台湾の感染者は人口比で0.001%である。日本は人口比0.001%である。R0=1とすれば、年間でこれまでの1ヶ月を12倍して、年間の感染率は0.01%である。猛威を振るう欧州においてドイツは感染率が0.07%であり、致死率は0.0004%に止めている。こうしたドイツの状況を例外と見るのかお手本と見るのか。

日本においても感染力の強いL型が蔓延した今、感染率は高くなるであろうことを考慮すれば最悪の場合人口の0.1%はなってしまうかもしれない。good newsとしては96%が軽症。最悪のケースで13万人が感染。これが最悪のシナリオではないか。そして、致死率は最悪その1/100としても、年間死者数は日本で1000-2000人。これが考えられる最悪の数字であろう。甚大な損害ではあるが、140万人が年間なくなる中で、COVID-19は死者の0.1%を占める疫病となる。だが、これは最悪のケース。R0<1を目指し、衛生環境を守り、エチケットを守り、死者数をこれ以上増やさないように期待したい。(対処療法の経験値が上がり、医療崩壊を起こさない前提)

クラスターのできる3要素に関わってしまう国民はどの程度なのか。都市部に住む人々だろう。わたしには世界中の全ての都市が武漢のようになるとは到底思えない。

いま、日本の屋形船は、乗客の入れ替えごとに消毒を施し、業者の消毒もお願いし、従業員もその作業を覚えている。そして、従業員の体調をチェック。検温をしている。ウイルス除去装置を設置。水性二酸化塩素を噴霧する装置で、SARS、インフルエンザウィルス、ノロウィルス、O157などの様々なウィルスや病原体を99.999%~殺菌する。そして、換気扇を複数つけて積極的に換気をする。席をゆったりにして出席者にも検温を実施する。そして参加者は手洗いを徹底する。このような対策をとっている。

このように慎重な対策をとっても、無責任な経済テロリストは感染率が10%だと主張するのか。わたしは人を不安に陥れ犠牲者の経済的な保証もしない輩は経済テロリストだと思う。原発のとき、福島の一次産業は壊滅的な打撃を受けた。風評被害である。今回も同様だ。デマが横行。被害を受けるのは善良な事業者たちだ。こういうときこそ、工夫して彼らを励まそうではないか。自粛要請は確かに大事だが、万全の対策をとって、わたしは外出する。批判は覚悟の上だ。

いま、日本の現場では、掃除のパートタイムの方々が涙ぐましい努力をしている。モールではアルコール除菌をエスカレーターの前に立っておばさんがベルトを拭いている。ジムでは手すりやぶら下がるところを社員たちがひっきりなしに拭いている。そこら中に消毒液を起き、ペーパーを起き、各自に自己防衛を徹底している。

掃除のお仕事は時給換算は決して高くないだろう。しかし、彼らの目に宿る迫力に圧倒される。わたしたちは、日本を守っているのだ、一人の感染者も持ち場からは出さないのだという使命感がひしひしと伝わってくる。人の命をそれぞれが守っているのだという意識。職業倫理とは本来、そういうものではなかったのか。仕事の持つ、本来の崇高さを、こうした危機にわたしたち一人一人が感じるのだ。そのような社会で、感染率が0.1%に達することはないと信じたい。日本においては人口比の致死率は0.00004%にすぎない。このことを合理的に評価し、経済危機というものが起こるのかどうか、胸に手を当てて考えてみてほしい。

知事の自粛要請が国民のパニックを誘発し、実際に消費を冷え込ませるならば本末転倒だ。経済と衛生は両立できる。徹底すべきは、1) 密閉をやめ、2) 密集をやめ、3) 近距離での発声を抑えるかマスキングすることである。そうすればR0は1となり、そのうちに1を下回り、軽症者さえ自宅で待機してくれれば、医療危機は起きない。プロ野球も開幕する。ディズニーランドも開園する。上野動物園も再開されるし、万事、そうでなければならない。

経済危機については笑止千万ではないか。金融危機のときは金融システムの問題であったが、今回は金融システムは万全だ。そして自粛や都市封鎖や国境封鎖による人の移動の制限は、人類が自ら課したものであって、「見せかけの景気悪化」である。

これは連銀もわかっていて、要は息を少し止めてくださいね、というだけで、息を止めて自殺しろとは言っていない。人為的な経済指標の悪化を瞬間風速で50%も減った80%も減ったと騒ぐのは犯罪に近い。いま、わざと息を少し止めているが、すぐに普通に息ができるようになる。もう少しの辛抱だ、というべきである。だから、50%減ったかもしれないが、保証もするし、お金も貸すし、クーポンも旅行業界を助けるために全国民に配って、倍返し、応援するし、ありがとうするね、となっているのだ。

そんなことも信じられないで、恐慌がくるという投資家がいる。自らの社会を信頼できないのだろうか。よい相場と悪い相場は線引きができると思っている市場関係者がいる。相場が悪い時は再投資利回りが上がるので結局は長期で元がとれる。悪い相場もよい相場も実際にはない。あると思っているのは株価だけで投資を評価する短期筋のみだ。長期投資家はインカムゲインも考慮する。そうなると悪い相場というものはないといっても過言ではない。

なんだろうなあ。こうした情けない心持ちは。まるで受験に失敗した浪人のような状況かもしれない。浪人は悲観する。受かるはずだった大学に落ちて。実力があるのに落ちて。「俺は本番に弱い。プレッシャーに弱い」と勝手に弱気になる。コツコツと長期の努力をすれば報われることを信じることができない。自分からこけてしまう。自分で自分を見切ってしまう。そういう無様さと今回の延期延期で参ってしまう投資家の無様さは似通ったものがある。仲間の将来、投資先の将来も信じられないのか。投資とは応援であり、応援に悲観はいらない。何点差で負けていても最後の最後まで応援する。それが投資家の立場ではないのか。ドラゴンズファンがジャイアンツが勝ちそうだからといってジャイアンツを応援できない。いまは弱いがいつかは優勝させてやりたいとファンは思うものだ。自らが見込んだ将来性。応援すると決めた企業を自らの都合で勝手に応援をやめてしまう。強くなったら、にわかファンが増えるというが、マーケットも同じなのだろうか。

理不尽な環境にあって、努力を惜しまない屋形船の経営者は応援する。だから自粛があっても彼らが経営する限り桜を見るために屋形船は借りたいと思う。そして普段お世話になった方々で他者の批判をものともしない猛者と船で宴会をすることにした。これは来週平日にやる予定だ。ウイルス除去のため、テーブルも手もこまめに吹き、茶道の作法のようにCOVID-19の作法を確立する。霧のようなアルコールを手に吹きかけ、「結構なお手前で」とテーブルを拭く。お酒を口にしたら、結構なお点前といってマスクをする。そして、いただくときには「結構なお点前で」といってマスクを外すのだ。

暴落を長期投資家は祝う。なぜならば、それが流儀だからだ。

人には免疫があり、規則正しく生きるものは、うろたえる必要もない。ストレスを抱え、不安というウイルスに感染する必要もない。大丈夫だ。なんとかなる。助け合おうではないか。一緒に泣くこともできる。一緒に笑うこともできる。一緒に過ごすこともできる。わたしたちは団結できる。明るい未来を信じて希望を持ってほしい。自信をもってほしい。読者には不要なストレスのない人生を歩んでほしい。

2020年3月29日その他

Posted by 山本 潤