コラム 生涯学習の時代に -人生の100年設計- by yamamoto

2018年10月5日

一生勉強 一生学習 一生努力 

もう何年も前から、生涯学習なる言葉を頻繁に見かけるようになりました。平均寿命が80を大きく超えて、100才を超える方々も珍しくない時代です。一方で技術革新のスピードは速く、いまとなっては、人類は火星に移住できるし、重力波が計測できて、また、動いたままのイオンも見える、そんな時代です。

学問も職業も細分化されて、専門性がより細分化されているのです。数学の世界でも、一口に数学という括りでは括れないのです。たとえば、幾何と代数と解析に分かれるだけでなく、幾何の中でも細分化されて、代数幾何、位相幾何、微分幾何などなど。そして、お互いに何をやっているのかは、お互いに理解しかねる、という具合です。

そんな中で、小中高校から大学へ。就職。定年。老後という従来のあり方が成り立たなくなってきました。

まず、寿命が長くなったため、老後がますます長くなります。年金は減額され、年金支給の年齢はかつて55才が60才になり65才になり将来は80才に向かっていくかもしれないですね。

株式投資による資産運用が10代から必要になるかもしれないですね。

これからは、小中高から大学その1。その後、就職。その後、大学その2。そして、起業その1。平行して大学その3。起業その2とその3。そして大学その4と5。老後という流れではないでしょうか。大学は塾や稽古やレクチャーセンターや習い事でも構いません。

職業はますます専門性が必要とされ、人生の100年間、強いリーダーシップや学力や体力がすべて必要となるかもしれません。

生涯学習 -わたしの場合-

参考になるかはわかりませんが、わたしも働きながら大学で学んできた口です。(高卒から8年大学と大学院、その後3年、大学、その後3年大学院、その後5年大学院ですから、都合、8+3+3+5=19年間大学に通っております。あと、5年通う計画です)

  1. 高卒後、島根大学法文学部法学科 6年間 2年間は留年 (1982-1988)
  2. 就職できず法大学院へ進学 2年間 法学修士 (島根大学に8年間)(1988-1990)
  3. 証券会社に就職 7年間 アナリスト資格取得(1990-1997)
  4. ニューヨークが本社の米系投資顧問クレイ フィンレイ(1997-2005)に転職 東京理科大学夜間部 工学部2部 電気工学科3年で卒業 (理科大3年間 2003年まで)
  5. 理科大の夏休みにPrinceton Reviewに通う コロンビア大学 CVNのEE(電気工学)の大学院に入学。コロンビアを選んだのはClay Finlay本社と同じNYCにあったから。(コロンビア大学に3年間 2003-2006年まで)
  6. 独立2006-2008。ヘッジファンド運用。DFRの役員。データブックを創刊。コロンビア大学修了(2006年)
  7. 英系投資顧問にチームごと移籍(2008-2017)。息子の野球のコーチで大学には行けず。途中、理科大数学科に入るも1年で退学
  8. 中央大学(2012年より)へ通い始める。ただし、昼間の大学院。会社からの許可は出ず
  9. 中大数学科修士を4年で修了。博士課程へ進学。投資顧問を退職。リンクスを立ち上げる (現在中央大学5年目)

さて、働きながら大学にいく場合には、大きなハードルがあります。

二つのハードル

二つあります。

職場の理解金銭負担の大きさの二つです。

職場の理解

わたしの場合は、職場に理解があるところとないところがありました。1997年から勤めていたクレイ フィンレイ インクは米国の年金運用機関でしたが、上司のGreg Jonesさんは、理解がありまくりでした。ありまくりというのは正しい日本語ではありませんが、東京理科大学の工学部に転入したことを告げると「それはよいことだ。学費も出してあげよう」といってくれました。コロンビア大学に行くことも「それはよいことだ」となりましたが、学費は高すぎるのか、自腹でした。

その後、独立したので、大学に通おうがそれは自由になりました。無事、コロンビアの院を修了。

次の英国のヘッジファンドは、理解が全くありませんでしたが、わたしは会社の反対を押し切って勝手に中央大学の昼間の大学院に行きました。学費も許可も出ませんでした。

このように、職場の理解があろうがなかろうが、行ってしまえば、職場は仕方ないな、という空気になるものです。

やるっきゃないでしょう。

要は、職場の理解はあった方がよいですが、ないならないで強行突破するしかないです。

金銭負担の問題

これは、大きく改善しています。国家が補助金を半分弱も出してくれるのです。昔は、職業大学院だけでしたが、いまでは、工学部も理学部も大丈夫です。

わたしが活用したのは、休学で学費がゼロになる仕組みです。社会人ですから、フルタイムの学生に比べて習得に時間がかかります。働いている時間は勉強ができないのですから。そこで、わたしは休学を2年して学費を押さえました。教授には休学中もゼミをしていただきました。

もうひとつ裏技があります。それは、サラリーマン経費です。学費や入学金は給料から損金として控除されるのです。書籍代も交通費も控除できます。ただし、100万円を超える経費がないとお得にはなりません。わたしの場合は、世界の学会に出席する交通費、国内の学会への旅行費、専門書、特に洋書の書籍代、あとは、スーツ、靴などの衣料、それだけではありません。個人教授や他の専門学校へ行けば、その分も上乗せしました。300万円ほどの経費を認めさせることができました。会社はキャッシュアウトがないため、ハンコを押してくれるのです。要件は、仕事に役立つ、という一点だけです。アナリストやファンドマネジャーは、すべて、ありとあらゆる知識が仕事に役立つものです、などと会社を説得しました。大学に行くことを許可していないけれども、ハンコを押してくれと頼むのは勇気がいりますが、背に腹はかえられないのです。

サラリーマン経費よりも、いまは、助成金が充実しているので、助成金を使うことで経費負担はずっと軽くなるのです。

文系から理系への壁

文系の出身だったわたしが、理系に行くときには、理系の学部からやり直すことが求められました。

理系の大学院に行くためには、理系の学部を卒業していることが条件になるのです。

ただし、文系を卒業していれば、理系の学部は転入できます。転入することで4年ではなくて3年で卒業(最短2年)できるのです。

また、同じ理系であれば、学部からやり直す必要はありません。わたしの場合は、工学修士をとった後は、理学部の学部を飛ばして理学部の修士課程に直接行くことができました。

文系であっても、数学をやる方が確実によいと思います。わたしは高校のとき、全く勉強しなかったので社会人になってから苦労しました。通勤時間等で高校の参考書から数学は勉強し直しました。

合格のために必要とされること -相談と語学専門学校-

転入にしても、大学院受験にしても、社会人枠を使うことで合格の確率はぐっと上がります。

しかしながら、社会人枠で勝手に受験しても通りません。

事前に、教授のところへ相談に行くことが必要となります。

教授から入学までにこれを読んでおけと教科書を数冊渡されたら、それは受験しても合格させるよ、という意味です。

海外留学の場合も、それは使えます。ただし、TOEFLやGRE(or GMAT)などで一定の得点が必要になります。得点が足りない場合、語学学校で修行をしなさいという大学もあるようですが、コロンビアのエンジニアリングスクールにはそういうものはありませんでした。TOEFLはかなりの高得点をとる必要があるので、専門学校に行くのがよいと思います。

わたしは渋谷のPrinceton Reviewに通いました。通うことで得点は面白いように上がります。努力をしたら、という条件は付きますが。

よく、勝手に願書を出して、落ちてしまう人が多いですが、必ず受験先の教授(権限のある人)に、相談することです。

わたしは2012年に中大のM先生にお時間をいただき、2013年から入学したい旨を伝えました。工学部の院を卒業しているとはいえ、数学の院は工学とは違うので、そんなに簡単には認められないのです。そこをなんとかお頼みすると、学部の授業を1年受けることを条件に院に受け入れていただいたのです。その後、4年かけて修士をとりましたが、その後、博士課程に進学して現在にいたります。

大学でなくても 資格でもよい

わたしが大学に行きたかったのは、長い時間をかければ、必ず大学は卒業できるからでした。

そうではなくて、資格がとりたい方は、学費よりも、ずっと安上がりに資格はとれます。

ただし、役に立つ資格というものはあまりないのが実情です。資格は資格にすぎないからです。

英検1級があっても、英語で仕事ができるかといえば、それは無理なレベルです。英語しか話せない上司がいて、英語しかレポートできない環境で働く方が実践的です。わたしはクレイフィンレイでその環境でした。証券会社の国際部に7年いましたが、全然、英語はうまくなりませんでした。それは使う頻度が全く違うからです。

ということで、わたしは資格よりも学問を志したのです。

学問は奥が深く、論文を書くことができます。資格では論文はかけない(つまり、真理に近づくことはできない)ですね。

学問は100年あっても突き詰めることはできません。資格は受かったら終わりです。そういう意味では、論文指導が厳しい大学に行くと鍛えられます。

あと、わたしがオススメなのは、理学部です。本邦のMBAやMOTや会計大学院という職業大学院ではありません。もちろん、米国のトップクラスのMBAなどは相当しごかれますから、そういうMBAはオススメというかすごいんですよ。

意味のある論文がかけるのは、私が行った中ではダントツに理学部です。MBA習得には論文が必要ではありません。この差は天と地ほどの差なんです。わたしはコロンビアCVNは論文がなかったのです。中大の修士論文は正直、死ぬかと思うほど大変でした。学位の重みでは、論文のある中大理学部の方が論文のないコロンビア工学部よりも格段に重いです。文系の中には、論文が1年でかけるものもあります。ですが、意味がないと思うのです。それはレポートかもしれませんが、論文ではありません。

それでも行かないよりは行った方が格段の格段の格段によいのです。職業大学院も多くのケーススタディとディスカッションとゼミがあるのですから。ゼミがないのは大学といえません。ゼミで自分が発表することが自分を成長させるのです。(わたしたちの株の学校も受講生に発表を義務付けているのは発表しないと血となり肉とならないからです)

時間の管理について

インプットとアウトプットがありますが、もっとも必要なものは、両者のバランスです。

わたしはファンドマネジャーでしたので、アウトプットとしては、よい銘柄を探し、投資を決断する時間が必要です。こういうものは、長年やっていれば、生産性を高めることができます。また、仲間がいれば、仲間に助けてもらうことも可能です。

インプットは勉強の時間で、これを1日で5時間以上とる必要があります。

24時間ある中で、インプットの5時間さえ、確保できれば、生涯学習と職業を両立できると思います。

5時間のインプットの時間をとるノウハウは実は簡単です。

起きてから、ずっとインプットをするのです。そして、5時間分のインプットを終えたら、残りの時間を寝るまでアウトプットに費やすのです。

だれてしまうと、仕事(アウトプット)をして、夜、疲れて、テレビ(これはインプット??)を見てしまいます。

映像や動画によるインプットは効率が悪いので、書籍によるインプットで時間を節約します。

まず、朝からインプット、午後から仕事。寝るまで仕事するので、文句ないでしょう?という態度で仕事をすることですね。職場によっては無理ですかねえ。

経済的利益ではなく知的好奇心がインプットをドライブする

インプットには金銭的な価値はありません。単に、インプットにすぎません。わたしは法学と工学と理学で修士をとりましたが、経済的な利益はファンドマネジャーとしての成績のみから得ました。修士をとろうがとるまいが、博士に行こうが、それにより、ボーナスが増えることもなければ、仕事がうまくいくこともありません。単に知的な好奇心が満足されるだけです。

ですが、10年、20年単位では、確実に経済的な利益に結びつきます。視野が広くなり、知識が増え、思考力が高まる結果として、仕事において質量ともに以前よりもよい仕事ができるようになるからです。

試しに20年ぐらい大学に通ってみてください。決して後悔はしないはずです。

単年度の計画ではなく10年単位で計画を

これは声に出して言いたい主張です。人生100年時代。10年単位で10のPhasesで考えてみたいですね。

よく単年度の計画を立てる人はいますが、短すぎます。1年でモノにできるものには価値はありません。

10年単位でしかモノにできないものにしか価値はない、と思ってほしいのです。

といったら、言いすぎ、ですか??

なぜ学ぶのか 遊び呆けた若い時代があったので

社会人になって、わたしはよく、夢にうなされました。寝汗を書いて、はっと目覚める。二つの夢でいつもうなされていました。

うなされる夢その1

ひとつの夢は春日井高校の野球部の夢です。わたしは高校二年に生徒会をやりましたが、部活との両立はできず、野球部を退部したのです。野球部の退部は心の傷になりました。

夢の中でわたしは三年生です。ランニングをしています。知らない顔の1年生がいます。三年生は同期です。どうしたの?戻ったの?と仲間が走りながらわたしに声をかけてきました。うんと答えるわたし。そこで目が覚めます。

つらいのです。部活を途中で投げ出した自分の過去が。

このつらい夢は、息子が二人、野球をはじめたことにともない、野球のコーチで土曜日と日曜日にどっぶり浸かって、数年経ったら、見なくなりました。ユニフォームを毎週来て、朝から日が暮れるまで、練習しました。5年ぐらいやりましたでしょうか。つらい夢を見なくなって嬉しく思います。

うなされる夢その2

もうひとつの辛い夢は、大学の試験の夢です。わたしは若いころ、全然勉強しませんでした。高校二年生で彼女ができてから、授業が終わると教室で彼女と暗くなるまで話をしていました。その後、マクドナルドなどではしゃいで。チャリに彼女を乗せて彼女の家まで送る毎日でした。

彼女が詞を書き、わたしが曲をつける、という具合でしたから、勉強どころではなかったのです。

今年になって、三十数年ぶりに彼女との曲をアップしてみました。わたしたちは音楽で食べていこうとしたのですが、夢は敗れ去ります。

そして、大学2年の後期の試験の前日に、遠距離恋愛でしたから、無性に彼女に会いたくなって、試験をブッチしてしまったのです。いろいろありましたが、結果として、留年を2年しました。また、公務員の試験を受けるといって受験票をとったのですが、実際、公務員試験の当日、試験には行かずに、大須の中古屋で楽器を見て回り、ボロボロのクラリネットを買いました。試験を受けませんでしたから、当然、試験に落ちました。就職しなかったので、就職浪人をしたことがあります。わたしはどうしたって、どうしても、就職しなくないし、就職なんてまっぴらごめんだよ、という人だったのです。

夢は、こんな具合です。わたしは名古屋にいる。だが、試験が松江である。試験が受けられない夢です。

夢の中で、わたしは上司に向かって、仕事を続けながら遠距離の大学に通えることをアピールしています。でも、ある必須の科目が月曜日かの午後にあり、その科目をずっと欠席しているのです。試験前にあと一回だけ授業が残されているという状況になっているのです。その試験範囲も膨大です。出席点が足りません。必須科目なので落としたら卒業できません。

この夢を見なくなったのは、東京理科大学に通ってからでした。特に大学の図書館にいるとき、わたしの昔の心の傷口が塞がっていくことが実感できました。傷口は開いたままだったのです。

昔の後悔が辛い夢になっていました。生涯学習をすることで、辛さを乗り越えることができたのです。

ー 人は変われる! ー (ライザップじゃないけれども) 

ー 人生は変えられる!! ー 

ー 失敗しても何度でも(あるいは何度かぐらいは)やり直せる!!! ー

これらは本当のことでした…. 

(だからわたしは学歴で人を判断しませんでした。ずっと。高卒であろうが中卒であろうが、熱意さえあれば、アナリストを雇ってきたのです)

2018年10月5日教育・一般教養

Posted by 山本 潤