世界の秋吉敏子に思う by yamamoto
天才でも20年をかけて作曲する ベートーベン
投資家を長くやっていると、「リスク」について考えることが多くある。人にとって最大のリスクは死ぬことではない。なぜならば死ぬことは定めであり確定している。確定していることはリスクではない。何年生きるのか、その年数の伸縮具合は場合によってリスクになりえるが、大したことではない。20代で死んでも人生を謳歌した人は多い。人生のとってのリスクとは「理想からの逸脱」であるに違いない。無論、理想がそもそもない人もいて、そういう人はリスクフリーの人生であろう。このことから皆が憧れる「リスク・フリーな人生」がいかに無味乾燥なものであることはわかっていただけると思う。
あるべき自分の信念を曲げて強者に屈服しなければならないとすれば、それは最大のリスクになりうる。あるべき理想があるのに、それが外圧によってねじ曲げられる。そのとき、人は戦いを挑むしかない。
自分が息を1秒でも長くしていたいという生への執着が理想状態であるならば、確かに、そういう人生もあるのかもしれない。私はごめんだが。
こんなブログを書いていると自分が恥ずかしくなる時が多い。自分自身への備忘録のようなつもりで自分に気合いをいれる目的で書いている。世の中には一つの作品、一つの文章、こうしたものに人生を捧げている人々がいる。
交響曲9番といえばベートーベンだが、彼が曲想を得てから実際に作曲を開始するのに数十年。作曲に本格的に取り組んでから完成までに10年余りを費やした。一つの作曲に20年を費やすとしたら、それは人生の無駄などではなく、人生そのものではないかと思えるのだが。現代人は、時計が早く進み過ぎて、1時間で作品を描こうとする。これでは文化の伝承どころではない。30年1つのことをしっかりと考え抜くという訓練は人生を豊かにすると私は思っている。
70年 一貫してBebop
世界的なジャズピアニストの秋吉敏子(1929-)さんは2017年、88才のとき、ああ、ピアノの鍵盤と同じね、だから頑張ろうと言って、ライブもレコーディングもたくさん行った。私もジャズピアニストを20のときに目指していた。随分と昔のことのようだが、たったの37年前である。当時は、NHK FMがたまにジャズの特集を放送した。ジャズピアノソロライブで秋吉さんのライブをTDKの60分テープでラジカセで録音したことを覚えている。60分では入りきらないことがわかったとき、ああ、90分テープにすればよかったのにと後悔したものだ。
ピアノの即興をやる方にはわかってもらえると思うが、実は、ピアノの即興は、それほど難しくはない。特にマイルスデイビス以降の音楽は、モード奏法といって、音階を知っていれば自由に弾ける。誰でもそれなりの演奏ができるという意味です。さらに、ビル・エバンスの系譜、キースジャレットに到る系譜が、私の20のころのジャズピアノであり、倍音、メジャーセブンスの働きなど、近代印象派音楽(ドビュッシー等)が色こく出ている。この印象派の音楽というものは、ニューミュージックでも多用されて、耳に心地よい。だから、若いころは、モード奏法や印象派に走りやすい。印象派の音楽はピアノのペダルを多用するため、倍音が心地よい。エリックサティなどの楽曲はペダルなしでは聞けたものではない。
そうしたモードや印象派は、私のようなトウシロのピアニストを一時期食わせたりしたが、やはり、誰にもできる差別化できないレベルの低いものであったと今になって感じるようになった。要するに、キースジャレットやモード奏法は、演奏のごまかしが効くのである。
それに対して、一貫して印象派やモードと一線を画したのが秋吉さんだった。彼女のピアノは、ペダルは基本使わない。彼女はJazzという文化は、Bebopで終わった。つまり、チャーリー パーカー(1920-1955)やバド パウエル(1924-1966)で終わった、とする立場を70年間貫いている。
ジャズのBebopのアドリブはCメジャーの場合、D7-G7-Cというコード進行で進む。これを2−5−1と呼ぶが、転調を2−5−1で繰り返し繰り返しドライブしていくのがBebopであり、このアドリブはごまかしが効かない。
モード奏法はトウシロでもできる。Bebopを何十フレーズと世界観を込めてアドリブすることはトウシロにはできない。モード奏法は、ペダルで倍音で誤魔化すことができる。しかしBebopはペダルで誤魔化すことはできない。
秋吉さんは、安易に時代に迎合しなかったわけだ。70年間も。クラシックとの関わりでは、バッハをあげている。バッハも基本は2−5−1という展開で音楽を作っている。もちろん、バッハの時代にはペダルもなく、倍音もない。だから基本的にBebopとバロックには共通点がある。どちらも誤魔化しは効かない、ということでは。バッハ以降、2-5-1を忠実に主題の中心に置いた作曲家はバルトーク(1881-1945)だと思う。バルトークは母国ハンガリー民衆の歌を採譜したり、ミクロコスモスという教材を作った20世紀最大の作曲家の一人であるが東欧から晩年は米国に渡ったが本格的に認められたのは死後である。作曲家が死後に認められるケースは多い。ベートベンの第9でさえ、時代は早過ぎた。初演こそ成功だったが、その後は評価されず、ワーグナーの再演を待つまで世間の評価を得るには長い時間がかかった。バルトークは2-5-1のD7-G-Cの場合、Cと12音で等間隔にあるF#を同値に見なした。バルトークの理論によればD7-G-Cを例えば、D7-D♭7-Cとできるわけだ。Bebopとクラシックとの橋渡しをした。その意味では、バッハから随分と離れたがバルトークもbebopの精神だと私は思う。
歌詞に思いを乗せる 50年前にはわからなかったことが88才になってわかる
秋吉さんは、バッハのインベンションをジャズアルバムにしたりした。若い時はガーシュインなどもよく弾いたが、現在、90才になったとき、50-60年前にはわからなかったことがわかったとおっしゃっていた。たとえば、ガーシュインのオペラ ポギーとベスである。黒人で身体障害者の男と娼婦の女との歌である、I loves you, Porgyを最近、ソロで弾いている。2017年、彼女が88才の時のライブをyou-tubeで見つけた。30分からソロの演奏は心を打つ。ガーシュインは特に黒人ではなかったし、黒人の立場でオペラを書く必要はなかった。人種差別が今よりも酷かった時代である。秋吉さんは、ガーシュインがなぜこの戯曲を書いたのか。そのことに思いを寄せて、「ああ、ガーシュイン、あなたはジュイッシュ、ユダヤ人でやっぱり社会で迫害を受けて来たのね」という思いに至ったという。若い時、ベテランのピアニストにアドバイスを受けた時、「ジャズをやるなら、歌詞の意味を考えろ」というアドバイスを受けたが、そのときは、全く理解できなかったという。50年経って、わかったと。どんな思いで足の不自由なポギーがベスを追いかけて来たのか。彼女の演奏をぜひ、聞いて欲しい。歌詞がわからなくても、思いは伝わる素晴らしい演奏だ。
世界初の日本人のジャズ -死んでからが勝負の名言-
秋吉さんはオスカーピーターソンに見出されて1956年バークリー音楽院に日本人で初めて留学するのだが、「黒人の音楽」であったJazzの世界で、どれほど頑張ろうが黒人にはなれない。批評に苦しめられる、日本人である出所を咎める、そんな評論があったためだ。
バークリーも客寄せパンダとしてジャズを演奏する日本人女性を呼んだのではないか。ベテランミュージシャンでも苦労してデビューできない人もいるのに、若いのにチヤホヤされて、と批判されたのだ。
その答えはもがいた末に出た。1961年。The villageである。これは生涯、秋吉さんの代表的なレパートリーとなる。日本人だからこそ、作曲できた日本人の曲であった。
The long yellow roadなど、日本人でしか作曲できないジャズを世に出してきた。彼女はいう。作品が残って欲しいとは思っていない。よい作品ならば後世、誰かが演奏するだろう。勝負は私が死んだ後であると。
私も不詳ながら、新しい証券理論を構築している。気狂いの戯言のようなことをしているのだが、金利の消滅した時代にあった理論が必要だと思ったからそうしているだけで、好きだからやっているだけだ。死んだ後で、あ、変わった奴がいて、気が狂っていたんだな、と誰かが取り上げてくれればいいし、取り上げてくれなくてもよい。知ったことではない。自分が楽しく、自分らしく生きればそれでよし、ではないか。
HOPE 希望に託した思い
谷川俊太郎が秋吉さんの楽曲にHOPE 希望という詩をつけた。(2006)
秋吉さんが平和を祈って作曲した組曲「ヒロシマ そして終焉から」の三楽章からの楽曲に日本語と英語で詩をつけた。秋吉さんの長女のMonday 満ちるさんが歌っている。
秋吉さんは、ミュージシャンが平和を訴えても、現実は変わるわけではないという。だからと言って、黙っていてはダメだという。黙っていないで、言いたいことは言う。戦争はやめろ。人権を守れ。当たり前のことをしっかりと主張するのだと。
これは投資家も同じだと思う。理想を追いかけて何が悪い。誰もが追いかけることができるのに。誰も追いかけないのならば、私たちがやるしかない。一つのことを70年やり通した秋吉さんのことを心から尊敬している。
秋吉さんは作曲に一つの曲に一年の時間をかけるという。私のブログは1時間。ダメですね。
70年続けるのは楽だという。好きでやることがあればわーと続いている。ずっと好きでいることが難しいと思うのは好きではないから。好きな人を愛していれば離婚することもないのだと。ある意味、70年間のジャズ人生は結婚と同じであると。
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