子供のやる気を引き出す その2 やる気の本質を知る(子育てコラム#5)
本気でやりたいことが見つかった者は、すすんで努力して、スキルを飛躍的に向上させます。でも、やる気がない子供を持つ親はどうしたらよいの?(子育てコラム第5回)
それでは、問題です。
やる気のない者をやる気にさせることはできるのでしょうか??
馬を水のみ場に連れて行くことはできても、馬が水を飲むかどうかは別です。
勉強したくない子どもに、勉強を強制しても、勉強が嫌いになるだけ。
問題に対する答え。 それはできない。無理です。 親は待つしかない。見守るしかない。
でも、諦めきれない。
そして、待てないんですよね。親は。
そこをなんとか、我慢。子の一生は親が死んでからも長い。これを子供の長い一生の問題として考えてみましょう。
我が子は、いつか、なにか、やってくれるでしょう。
本人にゆったりとした時間を与えるしかない。 ゆっくりさせる。ゆったりしていると何もしていないと思いがちです。
そこは我慢。ゆっくりしているときだけ、いろいろ将来のことを考える余裕が生まれるのですから。
親やリーダーならば、周りからの雑音や批判を封じ込めること。
本人を信頼し、余裕を持たせること。 時間的な余裕、精神的な余裕の中から、短期の停滞を超えた、長期的な真の展望が芽生えてきます。
一生かかる野望をたった1年かけて得ることができれば、儲けもんですよね。 我が子は実は三年寝太郎だったりして。否定はできませんよね?
やる気をもたせるために そのキーワードは、「余裕」です。 余裕こそ、やる気の源泉。
余裕を保証する義務は、職場なら上司にあります。
家庭ならば、親にあります。
「上司は社員に余裕をもたせる」
「親は子供に余裕をもたせる」 - が今回の示唆です。
社員(または、子供)がやる気になれば、あとは簡単。 一度、やる気になった者には、誰も消すことができないパッションが生じ、文字通りの「水を得た魚」となります。
いやいや、最初の問い。待つしかない、諦めるしかない、といったじゃないか!と思っているあなたは正しい。
そうなんです。待つんですよ。
でも、ただ、待つだけじゃ終われないんでしょ? 何かをしながら待つんです。釣りだってただ待っているだけじゃ釣れないでしょ。 魚に気がつかれないように、上手に餌をつけなきゃね。
世の中はこのようにできています。 「相手の立場で物事を見ると、状況は改善する!」ですよ。
せっかちな親にガミガミ言われている多くの子供達の立場で考えましょうよ。 あるいは、ひどい上司と一緒に働いている長時間労働の社員さんの立場で考えましょう。
「雑務や残業をやめろ」、「余裕が大事」といっても、
ゆったりしている = さぼっていると思われる
勉強しない= ガミガミいわれる
大多数の子供たちは、ゆっくり考えることも許されないのです。 それでは、わたしたち親は、どうすればよいのでしょうか?
■ 最初のステップ
ー 学びの本質を知ること
失敗で味わう挫折。
しかし、その挫折を乗り越えようとするガッツ。
失敗の中から学び、再度、挑戦しようとする気持ち。
そんな精神力、ガッツ、気の持ちようは、学習経験のある者しか持ち得ないのです。 基本的な学習能力が備わらない動物は、失敗から学び、挫折を乗り越えることはできません。 学習とは、事実をただ羅列して暗記するだけではありません。 物事を原理原則に基づいて整理する、推論する、結論づける。 「これとこれを合わせると、こうなる」という学習効果による自信・確信が、決断を促します。 これは人間だけの持つ学習の効果です。
ストーブに近づけば、やけどするとわかった犬は、ストーブには二度と近づかないでしょう。 しかし、人間は、ストーブでやけどをしても、やけどを治療する再生医療を開発し習得します。
「学ぶということは、難問に怯まずに挑戦するということ」なのです。 学ぶことは、本来、ワクワクする楽しいことです。 学びはそれ自体が目的になりうるものです。
■ 学習には金銭的な報酬を得る手段以上の意味がある
世間では、長らく、学習は、偏差値の高い大学に行く単なる手段にすぎませんでした。 よい大学に行き、一流企業に勤めれば、あとは出世街道。エスカレータ社会でした。 日本も変わりました。 バブル崩壊後の不況期に多感な時代をすごした世代は、父親の世代が、不況でリストラされてしまったことを重く受け止めました。 「手段としての勉強などしても、意味がない」。 学歴に対して意味を見出せない若者たちが、学ぶことをやめて、高校を簡単に中退してしまう。
中退者は、 「勉強しても仕方ない」 という厭世感がその背景になるのではないでしょうか。 出世の手段として学習をとらえ、 「よい会社に入社して楽な人生を送る」という目的が達成できないから、 「勉強しても、しなくても同じ」というのが中退する側の論理です。
このように、学習を単に手段としてみると、手段としての金銭的な価値で物事を判断してしまいます。 学びを、手取り早い出世のパスポートとして見ないでください。 それ以上の意義を見出してほしいのです。
結論としては、 学びの重要性や推論するしかない事柄を繰り返し成功体験させることなんです。
これが釣りでいうところの餌にあたります。 餌としての成功体験。 それを通して、自分は物事を解決する側にいてもよいんだと安心してもらうこと。 主体的に生きるのは楽しいと何度も感じてもらうこと。
■ 餌としての成功体験とは、無理な難しいことをやることと工夫することを訓練させること
こんなことも可能です。 たとえば、昼休みに、「砂場の砂の数はいくつあるのか」を実際に砂場で数えさせる。
理不尽な訓練です。
みんな、まじめに数えられると思わないでしょう。 無理。できない。こういうに決まっている。
無理じゃない。なんとかするんだと励ましましょう。 1日じゃだめ。 1ヶ月ぐらい同じ問題をやりましょう。 全然無理なら推論するしかないじゃないですか。 じゃあ、どう推論したらよいかをみんなで推論する。
「砂場の砂数を推論する」のは、算数と理科の複合です。 そうしたテーマに取り組んだ子どもにとっても、その解答の数も、解答への道筋さえも、砂の数ほどあります。 たとえば、砂数の推論には、「密度」、「比重」、「平均」、「分散」といった概念が導入されるでしょう。 また、それらの概念を自分で気づかせることができます。 たとえば、1ミリグラムの砂に何個の砂粒があるのかを知ることで、「密度」という新しい概念を生徒が自身で発見する。
そうなれば、その生徒は、「密度」という概念(そして発見時の感動)を一生、忘れようと思っても忘れることはできません。 成分は?地質は?などとやってもやっても疑問は湧き出てくるでしょうね。
まとめ
休みには自由課題で無理で難しいが身近で面白い重大課題に取り組ませる。 長期的な取り組みで成功体験をさせる。
家庭でも同様。えー?無理!でもおもしろそうな問題を親として子供のために集めてくる。
成功体験の積み上げで学習を定着させると、自分の力で問題を作るようになる。 それができれば、魚は自分で釣れるから、子供は自立して、親の役目はおしまいだよーん。
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