子育てコラム#28 なぜ我が子を「格安な」大学院に行かせないのだろうか?という素朴な疑問 by yamamoto

2021年2月2日

素朴な疑問 問題提起

私自身は3つの大学院(法哲学と電気工学と数学)に通いました。そして学部としては3つの学部(法学科と電気工学科)に通いました。学部は学部でよい部分もあるのです(友達とワイワイガヤガヤです)が、学部は一般教養があり座学が中心。専門過程も大半は座学です。学部ではゼミが最も印象に残っていますね。一人の先生に学生が数人という規模で先生の部屋に集まって毎週、学生が輪番で発表する。楽しかったですね。昔は卒論というものはほぼ全ての学部生が書いたものですが、論文を書かない学部も随分と増えたようです。残念なことです。今回のコラムは、なぜ我が子を「格安な」大学院に行かせないのだろうか?という素朴な疑問について感じたままに書いてみます。

子育てコラムも部活の問題、受験の問題、しつけのことなどさまざまのテーマで書いてきました。うちは4人の子供がいて全員が男子です。中学受験をどうしてしなかったのか。どうして公立中学を選ぶのか。どうして都立高校がよいのか。どうして公立保育園がよいのか。子育てコラムをずっと書いてきました。今回はなぜ大学院に行かせるべきなのかについてです。(そのあたりは過去のコラムを参考にしていただければ幸いです)

圧倒的にお得な大学院の教育

大学院の教育は学部と比べて圧倒的にお得だからです。皆様はST比をご存知でしょうか。学生数を先生の数で割ったものです。大学や大学院については学生数を専任教官の数で割ったものです。教育のコストのほとんどは人件費です。ですから医学部や音大のように一人の学生に対して先生がface to faceで指導しなければならない学部はST比が低い。一方で教養課程の先生を全ての学部で「使い回し」ができる総合大学のSTは高くなります。

ちなみに首都圏では早慶上理やGMARCHがよい私立とされますが、STは低いもので25で高い部類で40です。これは絶対水準としては褒められた数字ではありません。米国の一流と言われている大学ではスタンフォードやコロンビアやハーバードやCALTECHやプリンストンは大学院のST比は1−3です。STが一桁ということは先生が学生と向き合ってくれることを意味し、それは非常に長期の人間関係になっていきます。恩師と弟子。数十年という関係になるのです。本来はお金では買えないものです。

残念ながら日本の私立大学の学部の状況は座学が多く大教室(あるいはオンライン上に数十人の学生と一人の先生)の大学がほとんどということです。

国立や公立になるとSTはガクッと下がります。絶対水準が低い。都立大学は10ですし、東大は8です。私立でも医科大学は0.8というところもあります。私立の医大は学費が500万円と高いといわれますが、実は激安です。生徒1人に先生が1人。先生や設備費や職員の人件費を考えると500万円では運営できません。「わずか」年間500万円の学費ならば「ST的に私大の医学部は激安」なのです。もちろんSTだけで大学の値段が決まるわけではありません。ST比はあくまで先生と学生の比率に過ぎませんので。またSTでは先生の質が判断できません。一流の先生が早慶などの有名私大には集まります。どの先生にどれほどご指導を丁寧にいただくかという視点が最も重要なことです。大学選びは偏差値ではなくこの先生に習いたい、この先生と一緒に研究したいという動機から選ぶのが好ましいでしょう。

激安な国立大学の学部

改めて国立大学の教育の質の高さが確認できます。私立大学では一人の先生が20人の生徒を教える。学費は国立の倍です。一方で国立では1人の先生が10人の学生を教える。学費は私立の半値です。STは教育の質に関わる部分ですから低くあるべきです。質が半分で学費が倍の私立に行かせるのは4倍も高い値段を払うことになります。例えるなら隣は国産の野菜を100円で買い、うちは遠くから運ばれた鮮度の落ちた海外の野菜を200円で買う状況。質は国産が圧倒的によいのに価格も安い(STが10以下)。古くて質が悪いもの(STが15-40)を高値で喜んで買っている状況が東京独自の私立信奉です。確かに早稲田や慶応が評判はよい大学だとは思います。うちは高校受験でも早稲田や慶応は受けさせませんでした。普通の子供が通う普通の公立高校に行かせました。

もちろん私立大学のよいところはたくさんあります。例えば学部レベルで就職がよいということです。しかし致命的なことであり、(残念なことでもあるのですが)私立では大学院に進学する学生は圧倒的に少ないのです。うちの子たちも私立大に行けば就職を選んだかもしれません。学費の負担が重いと感じるでしょうから。

ちなみに東京の私大でSTが劇的に改善したのは早稲田大学です。早稲田は以前はST40でした。今は26程度。大学側の努力は並大抵の努力ではありません。私大で突出してよいのは慶應義塾です。STは15程度です。(医学部があるので低くなります)MARCH でも立教や法政はやや遅れていてST40を超えています。他のMARC は33-38。STで並べると慶応16<理科大25<上智26<早稲田27<明治、青学33<中央38<法政41<立教43となり必ずしもST と偏差値は比例しません。STでは先生の質が評価できません。地方国立大学はSTは10程度。旧帝大は6-8程度。私立大学でSTが低いのは音大が5程度。

大学院のSTは私大が圧倒的に低い

大学院のSTはどうでしょうか。学部と大学院では教授は共通なところが多いのですから、学生数が圧倒的に少ない大学院ではSTは低くなります。驚くべきことに、私立の大学院と国立の大学院とは値段は同等に「改善」します。私は私立大学の大学院を選びコロンビア大学と中央大学でランダムノイズ(工学的な確率過程)と数学(位相幾何学)で修士を修了しましたが、圧倒的にコスパはよかったです。どうしてでしょうか。理由は簡単です。私立大学では大学院に進学する人が極端に少ないからです。全国の私立大学の学生数は191万人。一方で私立大学院の学生数は5.5万人に過ぎません。国立は大学院進学が当たり前のようになっていますが、国公立の学部生は57万人で大学院は9.4万人です。学部が4年、大学院は主に2年であることから、STが逆算できます。私立の大学院のSTは1.2です。国立は2-3となります。学費が私立が高いですがSTでは圧倒的に私大です。

ある私立大学のケースでは施設費というものが学部生がかなり負担しているのですが、悪い言葉で表現するならば、「学部生は大学院生のためにお金を払っている」と言える。大学院生は施設へのアクセスがよくて、先生との距離がすごく近い。一つは書籍です。大学院生は在学中は無期限で冊数無制限に書籍を借りれます。希望する図書をリクエストできます。コピーは無制限で無料。院生室が用意されます。そこで専用の机と本棚。自分専用のホワイトボード。マーカーなども全て無料です。もちろんPCも貸与されます。講義は先生一人。one to oneの講義は密度が濃い。先生はカスタムで修士論文に役立つであろうテーマを2年間かけて講義してくれます。夜間もオープンですので、夜から自主ゼミが開催され数学漬けの日々が送れます。学部生にはこれらの「特権」はありません。

学生が最も成長するのは毎週のゼミの発表です。先生の前で発表するときは緊張しますがこれが毎週2年間あると思うと大変な重圧です。論文を書きますから論文執筆でまた成長します。大学院でもMBAなどは論文が不要です。論文を書かなくてもよいというのは逆に言えば成長がない。だから同じお金を払うならば論文が必要な大学院に行くことです。博士課程はもっとST比率は低くなります。私立大学の博士課程は学費が修士の半分程度です。ですから非常にお得なのです。どうして皆様は私立大学の大学院に行かないのでしょうか

米国の競争力の源と評されるコンピューターサイエンス(CS)系の大学院の博士課程STですが、バークレー1.8<プリンストン<2.1<カルテック2.7です。博士課程3年間ですから先生単位では学年に一人博士課程がいる感じ。CSの博士課程は日本では東大ST=6です。滋賀大学にデータサイエンスが新設されました。横浜市立大のように自治体で意識の高いところはデータサイエンス学部があります。会津大学もCSの大学です。情報系の学部の新設は名古屋大学でもありました。国際教養系(英語で授業で留学が義務付けられている)とデータサイエンス系は時代にヒットしているので入試の難易度も高くなる傾向があります。英語で講義をする先生が不足。エンジニアでそれを学問系統で教える人材も不足していると思われます。就職のことを考えると国際教養とデータサイエンスはハズレがないはずです。ただ、我が家ではこのような新しい学部を受けることには積極的ではありません。学問的態度を身につけるには理系ならば工学部よりも理学部。文系ならば法律や経済よりも文学部や哲学科を我が子には勧めます。学問の楽しさというのは職人の楽しさとは違うものです。飛行機作ったりロボット作ったりするのは職人的であるのに対して、数学や理論物理を学ぶのは違う脳みそを使うからです。法律や経済も就職には有利なので誰しも無難にそこを選びますが、人生の素晴らしさや人としての心の成長を考えるならば文学部一択。

大学は学費が高いのがネック

大学は学費が高い。だから大学院に行かない。あるいは大学院に行っても行かなくても就職は変わらない。むしろ、大学院に行ってしまうと就職が遅れる。あるいは大学院に行っても研究者になれるわけではない。そういう理由から大学院は敬遠されます。しかしこれからの世の中は大学の4年間だけでは圧倒的に訓練が足りない。訓練とはゼミであり論文です。この訓練はface to faceで最も手間がかかるものです。数学科の場合では、学部の4年では一通り現代数学をおさらいするのだけれども、数学を面白いと思えるのは実は修士からなのです。

我が子は4人とも大学院に進学してもらいたい。長男は医学部ですからそもそも6年間あります。4月から6年生ですが、研修医が終わった後は大学院に行く予定です。次男も春から3年生ですが大学院に行く可能性があります。倫理学(哲学科)を専攻しています。三男、四男はまだそれぞれ高校生と中学生ですからまだわかりませんが、大学院に行かせると思います。というか、就職以外にも選択肢はあるよ、「進学を希望するならどうぞ」と選択肢は残しておいてあげます。必要か不要か。最短距離か回り道か。わたしは回り道を選んで欲しいし必要ではない道もあえて選んで欲しいと思う。確かに大学の学費は高いのですがSTで見れば大学院がこれほど割安なのに勿体ないでしょう??

学費と国家予算

学費が大学は高いといっても国立大学の場合は年間52万円です。長男の医学部の場合、6年間で医者を育てるための国家予算は一人当たり1億円を超えます。国家が1億円を払ってくれているのに本人が負担するのは350万円です。絶対に医学部はお得です。国立といっても旧帝国大学は予算も大きく東大の予算は2500億円。学生一人当たり800万円かかる計算。国家の予算からの脱却を各大学が志向しているのですが民間からの寄付や企業からの寄付が全体の数割を占めるようになりました。例えば東大に100億円を寄付するダイキンの場合は空気を科学するための費用として寄付をするのです。交付金を学生数で割るだけでも国立大学は数百万円の国家予算が生徒一人に年間で投入されています。学費はその10分の1なので実は「お得」なのです。交付金以外の資金調達が各大学の課題であり卒業生からの寄付が毎年増えている状況にあり大学院教育はこれから確実に盛んになります。そうでなければ世界に太刀打ちできません

社会人になる前に、大学院で死ぬほど学問漬けになり、論文を書く訓練を受けるべきです。論文を書く側になれば安易に他者を批判することはしません。事実を集めて考察をするようになります。そしてそういう人の絶対数が国力なのではと思うことがあります。

大学院のお金を用意しておく 中学受験はカネをドブに捨てるようなもの

我が家は4人の子供がいますが教育費用はあえてかけないようにしています。子供がどうしても塾に行きたいと言えば行かせるようにしていますが、中三の末っ子が中2の終わりから塾に行きたいというので行かせ、三男は高校2年ですが塾には行かないというので行かせていません。保育園から高校まで公立で大丈夫です中学受験をしないのでそこで数百万円が浮きます。私立の中学や高校に行かないのでそこで数百万円が浮きます。本当にお得な大学院に行かせるのにその数百万円を最後までとっておくことが長期の教育投資の戦略ではないかと思うのです。

保育園 勉強をさせない保育園が好ましい。幼稚園で文字を教えたりしますがほどほどにしないと好奇心がなくなります。おもちゃではなく屋外で遊ばせる。保育園からの習い事は考えものです。何も習わせないのが理想。幼児服にブランドは不要。古着で育てるべき。お小遣いは社会人になるまで不要。ショッピングモールなどの商業施設には連れていかない。人工的な遊園地もなるべくいかないように。海や川遊びや里山や植物に親しむように。里山とのふれあいが決定的に自然免疫を高めます。大家族の方が免疫力がつきます。
小学校 多くの多様な家庭から子供が集まります。地域社会の中核となる拠点です。地域のボランティア指導の野球チームやサッカーチームやバスケなどの集団スポーツで心身を鍛えることがメイン。存分に遊ばせることです。
中学校 もちろん地域の中核になる地元の公立中学で多様な生徒の中で多様性を認め合う姿勢を身につけます。学習塾は当人が強く希望する以外はいかせません。部活はできれば体育会系の部活。先生が熱心で休日や朝練がある部活が好ましい。高校受験があるので公立高校へいく生徒たちは内申書が大切です。当人がそれに気がつけば自然と生活は律せられます。よってゲームの時間を制限する必要は全くありません。「宿題やったの?」は家では禁句。
高校 公立高校が予備校のようになっています。できれば自由な校風が望ましい。できれば自転車で通える地元の高校で中学校からの友達が多い高校が望ましい。ST比率を話して大学受験は国立を目指すように。そうすれば7科目の試験勉強が必要になるので自然に自分を律するようになる。親よりも当人が不安なのです。公立高校は夏季休暇などで無料の受験対策講座を提供してくれます。塾は不要となります。好ましいのは図書館での居残り勉強。できれば同じ参考書を何回も繰り返し解くこと。たくさんの参考書は不要。友達同士で教え合うようにすればよい思い出になるでしょう。
大学+大学院 全てを公立でなるべく塾なしで進学したので本人には自信がみなぎります。当人の自我が確立するとき、環境問題や深刻な社会問題に対して深く考えるようになります。そのために、何を学ぶ必要があるのか当人が考えるようになり、自然と大学院に進学するようになります。あるいは世界の大学へ留学するようになる。最も大切なことは単位の質です。GPAで3.7を維持するように。大学に入ると勉強しない学生が相当数存在します。学年でトップクラスのGPAであれば大学は多くの奨学金を用意してくれます。留学もGPA が高い人が優先されます。米国のように子供にローンを組ませて就職後に返済させることもできます。なぜならば当人が強く希望した道だからです。

我が家の方針は子育ては最初は放任。幼児のうちは外で暗くなるまで泥んこになって遊ばせる。小学生のうちはスポーツで体力をつけて運動神経を鍛えておく。中学生では浴びるほどテレビゲームやタブレッドで遊ばせる。やりたいだけ好き放題にゲームをさせました。時間で制限することはありませんでした。誰だってあれこれ言われたくない。「ゲームばかりやって!宿題は??」などとお母さんが言ったらもう台無し。子育ては失敗します。ただし、夜は眠るようにします。不思議と受験が近づくとパタリとゲームをしなくなります。中学3年生になって勉強をはじめても遅くはありません。むしろそういう生徒が高校も大学も欲しいのです。荒削りですが伸び代がありますからね。ここが大事なところですが、本人の自我が生じた後に本人の意思で勉強を勝手に始めます。親が余計なことを言えばその好循環は消滅します。小学生の頃から塾に行かせれば運動音痴になり近視になりよいことは全くありません。家は貧乏になります。

いやうちは年収が高いから大丈夫という方もいますが、中学受験はお金をドブに捨てるようなものです。本人がやる気になっていないのに塾に行かせればドブにお金を捨てるようなもの。何も言わなければ勝手に勉強するようになります。どうしてかはわかりませんが、受験があるからでしょう。大学受験も同様です。うちは附属校には興味がありません。推薦入試も受けません。受験があるから勉強する。勉強すれば勉強は案外面白いものですから好きになる。勉強は大人になってからやるものです。そして大学院に行くべきなのは勉強が好きな人です。就職がしたいからといって圧倒的に安い大学院に行かないなんて、劇場でチケットを買って映画が始まる前に帰るようなものです。

まとめ:大学院は割安である。論文を書くことが訓練。自主ゼミ。正規のゼミ。充実度は学部とは比べ物にならないのです。もちろん私立大学も就職では有利になるでしょう。しかし、大学は学問をするところでもあるのです。今時の学生は頑張っています。資格やダブルスクール。そして2年生からすでに企業へインターン。3年生に就職活動。学問との両立は大変です。人生100年時代。急ぐことは何もありません。留年するもよし、留学するもよし。効率よく就職するだけが人生ではありません。よい成績を残し、大学院に推薦で行くことは後々高いGPAが本人の将来を助けてくれるでしょう。学部時代はとにかくGPAが非常に重要です。アカデミックレコードは一生ついて回ります。ふと留学したくなってもGPAが低いとどうしようもないのです。大学は入ることが目的ではないのです。1年からオールAをとるべきだと思います。

 

2021年2月2日コラム, 子育て・教育, 教育・一般教養

Posted by 山本 潤