子育てコラム #29 教養は人を自由にする

末っ子 都立高校へ

人生100年時代を生きる我が子。4人4様でそれぞれ好きな道を選んでほしいと願う日々です。2005年に生まれたばかりと思ってた末っ子が4月から高校生。おやまあ、3年前までは小学生だったのに。時の流れは速いものです。お蔭様で4月から都立高校へ進学することになりました。都立高校の受験は中学の内申書がとても重要です。内申書の1点は当日の試験の3.3点の重みがあります。そして内申書では実技4教科重視で4教科の評点の1点は当日の5教科の試験で6点以上の重みがあります。当日の5教科の平均点は6割を超えるので学力がある子は8割以上を獲得するのです。そうなると内申書が悪い子は逆転が難しい。よって都立は内申で受けるところが決まってしまうということになります。内申ですから普段の中学生活の平常点がものをいうのです。

概ね、平常点は男子より女子の方が高いのです。特に末っ子は提出物を忘れてしまうので内申点が低いという深刻な課題がありました。本人は気を付けているのですが、天然なのでしょう。ついうっかり「また忘れちゃった」の繰り返し。うちは放任主義ですので痛い目にあうのは本人です。親は「仕方ないね。出さなかったあんたが悪いんだよ」というほかありません。

私立高校はそういう平常点ではなく本番の試験で評価していただくので5教科もしくは3教科の入試の出来で合否が決まります。末っ子はそういう意味では都立に向かず「私立型」だったのですが、それでも私立には特別いきたいところがないと本人はいう。うちは本人に高校を決めさせていますので、本人がここを受けるといえば受けさせるだけです。最低でも私立は1つ受けないと都立落ちた場合に困ります。結局、末っ子は私立はひとつしか受けなかったのです。それも併願優遇で受かるところを受けたのです。

三男が我が地元江戸川区の都立小松川高校に大変お世話になっているし、自転車通学で20分程度だから電車賃もかからない。妻も私もあまり親の要望は主張しませんが、わたしはできれば通うのが楽で近場の高校を受けてほしいと願いました。ところが末っ子は地元はいやだという。「せっかく東京に生まれたのに江戸川ばかりじゃもったいないよ。もっと都会の港区とか西側の高校に行きたい」という。それで上の兄たち三人が受けた千葉の入試も受けなかった。「だって千葉は田舎だもの」。なんというへんてこりんな価値観。。。本人が最初に選んだのが都立三田高校でした。妻もわたしも何もいいませんでしたが、内心ではもっと近い都立両国高校や三男の通う地元の都立小松川高校でいいのにと思っておりました。確かに三田高校は区立中学生のあこがれのようで毎年倍率は都立の中で最も高いのです。しかし末っ子は最終的には都立小山台高校へ1月の段階で志望校を変更。通常は志望校の偏差値は下げていくのが普通ですが末っ子の場合は内申が悪いのに上げてしまった。そして自宅からますます遠いところを選んでしまったのです。さすがにわたしも「遠すぎる!」と懸念を示しましたが、本人の意思は固く、「一度見学に行ってくるわ」といって見学に行って、「めちゃめちゃ近かった」「駅から徒歩ゼロ分だった」と言い張るのです。

結局、小山台高校にお世話になることになり、我が家としては私学に行く場合に必要になる金銭的負担が軽減したのでそれを大学の学費に回せることになり助かりました。

教養が人を自由にする

次男がお世話になった都立日比谷は理系と文系とを敢えて分けずリベラルアーツ重視でした。理系でも国語力が必要ですし文系でも数学力が必要だという考えです。敢えて2年と3年とをクラス替えをしないで演劇や合唱で2年生のときよりも雲泥にうまくなる3年生の出し物は圧巻でした。三男がお世話になっている都立小松川も2年生までは文理分けはありません。さすがに3年生になると文理に分かれるのですが、今期末試験中ですが11科目の試験を課しています。こうした11科目を勉強することに関して私立高校では効率が悪いとして受験科目を重点的に教え、さらに中高一貫では高校二年生で受験範囲を終わり部活もほぼ引退させて三年生のときは受験に十二分に対応する体制で生徒をバックアップします。末っ子も併願で受けた順天高校は理数選抜Sというクラスでした。このクラスは高校1年生から理系科目を重点的に教えてくれて実験なども充実しており、東大などの難関大学を目指すために三年間クラスを固定するという力の入れようです。末っ子は都立に受かったとき、少し残念そうでした。「順天の理数クラス もったいなかったなぁ」という。わたしは「それなら順天に行けばいいじゃん」というと、「いや、お金が余分にかかるからいいよ」という。私「お金かかってもお前が行きたいなら行けばいいんだよ」というと、「いや、別にそこまで行きたいというわけではないし、小山台受かってやっぱりうれしいし、都立に行くよ」という。

親としては後から恨まれても迷惑です。「家の金銭的な問題のせいで都立に行かされた」などと子供が考えたとしたら親が迷惑千万です。そこはきっちりさせなければならなかったのです。

進路を親のせいにしてはならない!!

国立大学進学率でいえば両国の方が高いし、家からも断然近い。でもそれを親がいうことではない。子供が自分で決めた高校が小山台だったというだけ。もちろん内申点が低い末っ子が落ちることも十分考えられたのです。当日の入試で理科が難化してくれて学力では自信があった末っ子に最後の最後に追い風が吹いたのです。幸運だったに過ぎない。

最初から理系と決めている末っ子はどうして国語を勉強しなければならないのかとか、受験に関係ない科目をやりたくないとかいうのです。数学と英語をやりたいという。それでいいのでしょうが、受験科目以外を勉強することは大切なことです。リベラルアーツといいますが、教養はよく生きることにつながるのでビジネスとか事業とか職業とかにも当然つながる。共感力や感受性に劣れば生きていることの素晴らしさを実感することができないのです。リベラルアーツのリベラルは自由という意味ですが、教養は人を自由にするのです。

何からの自由かといえば、社会にはびこった偏見からの自由です。既成概念からの自由。世間からの同調圧力からの自由です。

受験という側面から見れば、確かに私立に行けば、裕福な「ちゃんとした」ご家庭の親御さんばかりでしょう。素晴らしい設備や環境があります。ですが多様性はない。都立にいけば逆境に負けずに塾にもいかずに頑張った苦学生もいるし小山台なら内申書オール5もざらにいます。優等生もいれば、息子のようにちょっとした問題児もいる。高校の先生の教養は深く、お話には味がある。そこで本物の恩師に出会うことになる。人生を変える出会いがあるかもしれない。高校生活は大学への準備ではないのです。大学は大学。高校は高校。好きな女子ができて勉強が手につかなくなる。それでいいじゃない。困った同級生がいれば集まり、寄り添い、励ます。部活に一生懸命すぎて3年生の遅くまで引退しない自由だってある。浪人だって悪いものではない。受験を考えて手を抜いたりこれは必要だ、これは不要だなどという人間にはなってほしくない。すべてに全力で取り組むからこそ、時間がすべての中でもっとも高価なものになるのです。

都立高校で期末テストで11科目も勉強できるなんて。うらやましい限り。幅広く勉強し、道を決め、好きな学問を志してほしい。

大学では学問を!

将来が不安だからといって、あるいは、年収が高いところに就職したいからといって、大学2年や3年のうちからインターンをする学生が多いようです。人生100年の時代。急ぐ必要はないです。わたしは本質的なことを学部でやってほしい。もちろん大学ではGPAは最高点をとってほしい。学部はできれば理学部か文学部へ行ってほしいと願っています。職業に近い学部:電気工学や建築や医学や薬学などは職業としてそれを目指す覚悟ができたらいけばよいし、当然、医者を目指すなら医学部しかないわけです。ただ、高校生の段階で特別になりたい職業がないのであれば、物事の道理を考えるためにより本質的な数学だったり物理だったり、あるいは日本文学であったり歴史や哲学を専攻するのは贅沢な回り道になるでしょう。わたしは我が子には回り道をしてもらいたいのでインターンにも行ってほしくないし、学問に没頭できる環境で気が付いたらみんな卒業して自分一人だけになっていた・・・という面白い展開を我が子たちには期待しています。

もちろん、あこがれの職業があるのであれば大学に行かない選択肢も大いに結構です。いずれ学問がしたくなるときが訪れたならば、そのとき勉強を始めてもよい。何かをやるのに遅すぎるということはまったくない。有利不利で科目を選んだり職業を選んだりしないでほしい。それが親の子に対する願いです。人生は暇つぶし。毎日は遊びだ。職業などに悩む必要はない。仕事なんてどうにでもなる。長男は医者の道を志したが医者をしながらも医学の研究はできる。次男は法律家を職業として選ぼうとしているが哲学を勉強する法律家だっている。三男は物理学を志すつもりだが今の時代は働きながらも学問は継続できるのです。だから末っ子にも「損だ」とか「得だ」とか、「みみっちいこと」はいわないでほしい。(言いたくなる気持ちはわかりますが)いろいろと幅広く勉強してみることを父として願います。

とりあえず、合格おめでとう。

子育て・教育

Posted by 山本 潤