7995 バルカー ストック型ビジネスで1961年の上場以来 営業赤字は一度もなし by yamamoto
7995 バルカー 銘柄研究
財務内容は良好。自己資本比率7割。そして1961年の上場以来、営業赤字は一度もありません。要因は拡大する半導体市場で存在感のある製品を出し続けたことです。そしてライニング材料など半導体も含めて半導体、火力、原発、石油化学プラント向け配管やタンクの定期修繕が主な需要であること。ビジネスモデルは顧客がシクリカル産業ではあるもののメンテナンス中心のストック型のビジネスであることが背景にあるのでしょう。もちろん、新規の設備投資の恩恵は大きいが、稼働が続く限り修繕や交換需要は定期的に取り込めるからです。営業損失を一度も経験していないビジネスモデルです。
創業家の滝澤家
創業家である瀧澤家。総じて1961年の上場以来、新進気鋭のベンチャー精神に溢れ行動力のある企業であり続けています。現会長の瀧澤利一さんは二代目社長であった父の病死に伴い急遽若干36才で1996年に社長に就任。バブルの後始末をなさり、本業へと回帰しました。バルカーのその後の成長の先導役になりました。その素晴らしい手腕は末尾の付録に歴史を載せてありますのでご参照ください。
ビジネスの概要
2019年にバルカーは過去最高の売上510億円と営業利益56億円を計上しました。成長のドライバーとなったのは半導体産業向けです。背景の1つは半導体製造装置(とりわけドライエッチャー)の急拡大があります。これは微細化のためにMOSトランジスタの構造が立体的になったこと、そしてNANDメモリーなどが100層を超える多層になったことでエッチャー需要が爆発したためです。エッチャーのプラズマがスループットを高めるためにより「激しく」なり、よりパーティクル汚染に敏感になったことで同社のチャンバードア向けbonded sealが急増します。チャンバーとはシリコンウェハーを加工するための高真空に引いた部屋のことです。真空に耐えうる密封をシール材で行います。ウェハー挿入の開閉ドアを囲むシールは高い付加価値があります。米国2社DUPON社とGreen Tweed社と市場を分け合っています。(米国勢や欧州勢がライバルであれば競争はフェアになります。中国の新参者が競合になると厄介なのですが。)
エッチャーの場合、チャンバー内部はドライエッチングされますが強力なプラズマ電源と真空を飛ぶ高速イオンなどによって、シールがすぐに痛むのです。頻繁な交換が必要になります。
このように同社のビジネスは装置の稼働台数に比例するストックビジネスです。何十億円という装置に安物の中国製を使ってウエハーが汚染されて丸ごとダメになったら大事です。半導体は何百ものプロセスを通りますので、1つ1つのプロセスの歩留まりは99%以上でなければ話にならないのです。参入障壁は高く、研究開発による改良も必要です。エッチングガスは最近では新しいものがどんどん増えているからです。エッチングガスについては関東電化などのIR資料を見れば理解が進みと思います。
もう1つの牽引役は薬液配管やガス配管内部やタンク内部のライニング材など需要の増加です。洗浄装置などは配管のお化けといってもよく、多くの薬液や純水が用いられます。半導体工場も何万本ものタンク/配管の集合体と言ってよいのです。そして、配管内部やタンク内部が汚染されてしまうと、歩留まりはめちゃくちゃになります。シリコンウエハーを加工するような強い化学薬液を用いるとどうしても化学反応、もしくは物理的な内部物質の剥落が原子のレベルでは生じるのです。実際、完全な封止もできず外部の原子が紛れ込むこともあります。これが半導体の歩留まりを左右する要因の1つなのです。
つまり配管やタンク内部を頻繁にテスト洗浄しなければならないのです。半導体ファブを安定的に稼働するためには配管やタンクの定期的なメンテナンスが必要です。もちろんここに同社のビジネスチャンスがあるのです。そして配管やタンクや洗浄器具などがメインの売上になっているのです。こちらも純然たるストックビジネスと言えます。
半導体装置周りの配管は汚染が許されませんし工場配管やバブルも点検も頻繁です。定期的な配管ライニング材料やひどい場合は部品のそっくり交換が必要です。定期修繕を中心としたストックビジネスです。半導体以外のプラントやタンクを含めて、およそ現状では全バルカーの売上の60-70%程度はメンテ需要ではないかと筆者は想定しています。
現状で同社の半導体向けの売上比率は40%程度と筆者は想定します。20年前は10%台でした。20年後は比率は60%ぐらいに高まると想定しています。
成長率ですが、半導体向けは年率で二桁以上の成長率があるでしょう。DUPONなどの大手と競合していくには開発費用をそれなりに投入していくでしょう。ただし物性開発であり配合技術が要素である以上、投資効率は高いのです。同社の全社の有形固定資産が140億円であり売上が500億円を創出できる能力があることが2019年に記録されたことから、資産効率が高いことは証明されています。
化学などの大型プラント向け
問題は構造不況と呼ばれる石油化学プラント向けの需要の見通しです。プラント向けといえば火力発電所や石油化学プラントやタンクコンテナです。こちらは各国ともに法定の定期修繕が義務付けられている。およそ2-4年にタンクを洗浄。タンクや配管やバルブをチェックしていくわけです。夏場が定期修繕の需要期です。プラント向けももう伸びないというわけではなく、国内がダメならと海外で伸ばしてきました。日本は1990年代の超円高を皮切りにプラントの新設はなくなってしまったのです。そして主戦場は海外になってしまいました。
これによりバルカー は主に2つの戦略をとりました。1つは需要を追いかけて海外へ進出していくのです。顧客の多くはアジア等へ拠点を新設しました。その需要を取り込みました。海外への取り組みは成功しました。1980年までは海外売り上げの比率はわずかでした。現在は売上の30%が海外となっています。海外開拓は同社の長年にわたる努力の成果です。販売面に歩調を合わせて、この数十年は海外生産比率も上げてきました。
もう1つの戦略は高機能向け商品の開発です。医薬液やレジストなどの機能性化学品の精製・生産・貯蔵プラントをターゲットにしたのです。いまだに日本の化学技術は特に高機能製品については世界有数です。高機能化学薬品などは生産設備もデリケートでありそうしたきめ細かい設備に対応する素材の開発が進んだのです。
そして大事なことは、そのどれもがストック型のビジネスということなのです。
日本がデフレに陥って30年になります。同社は国内の産業の競争力を支えてきました。そして日本には多くの優れた機能性化学品工場や医薬品工場が誕生したのです。ESGの観点から命や食の安全を守るためにはタンクや配管をしっかりとメンテナンスしなければならないのです。昨今はタンクコンテナが主流になりつつありタンクの洗浄やメンテナンスも収益に寄与するでしょう。むしろ、こちらのビジネスは残存者利益となりつつあるのです。
足元のリスクは自動車や航空機などのエンジンシール材があることです。比率としては1/6程度と筆者は想定しています。2020年についてはこちらの需要が消滅中です。売上1/6の消滅ですから、収益への影響はかなりあるです。そうは言っても2021年から徐々に回復が期待できるでしょう。
11月10日中間決算説明会(電話)を予定。中計についても発表があるでしょう。業績不振の今期は減配が避けられないでしょう。
2年後2022年には再び過去最高益を伺うだろう
2018-2019年と2年連続で同社の営業利益率は二桁を超えました。同社のFCFはずっとプラスを維持してきました。ここからも同社の財務重視の経営がわかります。バルカー の株価は市場からは低成長株と見られているようです。PBRが1倍です。しかし、その評価は過小と私は思います。なぜならば、同社のビジネスモデルは秀逸なストック型ビジネスであること。上場来、過去60年に渡り営業赤字がないからです。同社のフリーキャッシュフローは恒常的に黒字。そして配当成長率は二桁。その変動率の標準偏差は8%に過ぎません。資本コストは5%以下と想定されます。現状の評価は大幅な減配リスクを織り込んでいるためと推定します。
同社は2027年に向けてROE15%と売上800億円(現状のほぼ倍)という目標を掲げています。2018年の状況では売上600-700億円で利益80億円程度はすぐに手の届く範囲と思われました。株価も3700円ありました。その後の米中貿易摩擦とコロナで減収になりました。株価は半値になりました。同社の今後に筆者は期待しています。上場延期になったとはいえNAND大手のキオクシアの新規の半導体工場の建設が来年か再来年には始まります。半導体は米国政府や日本政府が案安全保障上の理由で半導体投資に多額の補助金を用意しています。バルカーには半導体分野もプラント分野も世界で大きなチャンスがあると筆者は考えています。そして中国の半導体業界も独り立ちを模索していますが、多くの部材メーカにとってビジネスチャンスがあります。バルカーはMAなどを駆使して賢く着実な増収を目指していくでしょう。
新社長の本坊さんは創業家以外からの登用となりますが、医薬分野などの先端分野を切り開いていくでしょう。
今下火になっている半導体メモリー業界が回復し、自動車生産が回復し、景気が緩やかなに回復すれば、2-3年後に再び最高益を伺う展開は十分に期待できると思います。そして、6-7年後に営業利益80-90億円到達の可能性は十分にあると私は考えます。もちろん牽引役は半導体・液晶業界。そして医薬品や高機能の化学品向けのタンクコンテナなどの着実な普及が背景です。MAによる増益効果も期待できるでしょう。株というものはある程度の先を見据えて、足元の状況が悪いときに購入するものではないでしょうか。
6-7年後の配当170円はあり得るのです。その時の株価は7000円程度でしょう。ちなみに60年前は同社の売上は10-20億円でした。30倍になったわけです。利益は60倍になりました。
歴史を振り返る 1962-2020年 瀧澤家の奮闘
利之さんの時代
バルカーは設立が1932年です。ただし上場は1961年です。
上場からの歩みを振り返ってみましょう。1962年当時の売上は20億円程度でした。当時、最高級工業用パッキング大手で八尾と厚木に工場を持ちました。瀧澤利之さんがオーナー社長。株も過半を保有。その頃、本社は東京丸の内だったのです。
四フッ素樹脂の原料の紡糸(テフロン繊維)や商標ホスターレン(高分子ポリエチレン樹脂)らが新製品でした。これらの量産化に邁進します。樹脂とゴムと石綿を製造販売します。補修用ジョイントシートなどを主力にしていました。
バルカーの要素技術は、ジョイントシートのように耐熱繊維とゴムを充填剤を配合する技術がベースにあります。当時から日本の高度成長や工業化を支えてきたのですね。
ビジネスモデル的には補修向け。つまりリピートが期待できるストック型のビジネスを志向してきたのです。バルブや工事関係を重視した経営をしています。
石綿リンペット工事(吹き付ける工事)を手掛けていました。リンペットは商標です。1956年から1976年まで流通していました。霞ヶ関ビルに採用され売上3億円をあげました。
60年代は日本で自動車の普及が進みましたが、バルカーは拡大する市場に狙いを定めてテフロン繊維などを自動車向けに開発しようとしていました。
テフロンは商標であり1946年にデュポンが開発したフッ素樹脂です。バルカーはこのように海外の新しい素材に注目して日本に持ち込むということをしていました。目利き役と言ってよいでしょう。西ドイツのレンフェルダーとポリエルテル樹脂で提携。これも自動車むけに進出をするためでした。スイスのエラストマーAGと技術提携で合弁の日本エラストンを設立。車向けにらみポリウレタン粒子の量産を開始します。ウレタンのように性能はピカイチだが製品寿命が短いものは繰り返しのリピート需要が生じます。要は用途開発で他の素材を圧倒することを目指すことになります。それができればビジネスモデルとしてはストック型になるわけです。パッキングの取り替え需要は底堅く存在します。
1960年代後半には売上は40億円に増加。ただしパッキングなどの価格は低下し競争もあるため利益率は大幅に低下。年間の利益は1億円程度でした。さて財務。1960年代から財務内容はよかったのです。1967年に金属ベローズの工場建設を計画。樹脂、ゴム、金属、様々な素材の配合や複合や加工の技術を磨きました。工業用パッキンの顧客は石油化学業界。重厚長大の業界のメンテナンスに伴う需要がメインでした。夏場に取り替え需要が発生します。孔子た傾向から同社の四半期決算では季節性が観測されます。4-6月1Qが案外頑張る傾向があります。少し関係しているのではないかと思っております。
1968年.60億円に売上拡大。飛躍はフッ素樹脂が電算機向けの電線被覆に使われたことです。昔の電算機は電線の塊のようなものでした。愛知県新城にポリウレタン工場を設立。1970年に海外台湾への進出を考えます。東南アジアへの拡販を狙ったからでした。TFE被覆電線(フッ素樹脂で耐熱性高い)や薄肉金属ベローズがドル箱になります。
1970年は売上70億円で利益は6億円程度でした。1970年台に瀧澤利壽さんが専務に昇格。
1970年代。同社は原子力と公害関連に注力します。公害関連とは消音工事やその材料。アンモニア中和の装置などのこと。1974年に利益が10億円を突破。設備投資も10億円の大台を超えました。売上は150億円程度。パッキン・バルブが主力でした。1975年に石綿の代替材料シラス(桜島巨大火砕流堆積物)利用材料を模索。鹿島建設との共同研究でした。エコロジー志向が強い会社です。そして九州の鹿児島に日産10トンの硝子溶融炉を建てる計画。シラス利用の硝子繊維です。ガラスファイバー の先駆けです。ガラス繊維は建材や樹脂に入れて強化材料になるのです。これは鹿島建設の建材「ミネロン」としてヒットします。福岡にも工場の建設することになりました。
フッ素のライニング板もこのころ伸び始めます。ライニングとは配管内部やタンク内部に貼り付けるシール材料で薬液から汚染を防ぐためのものです。これも寿命があるため定期修繕で取り替える必要があります。
1977年には新城工場の石綿の防塵処理対策の設備を建設。1979年に防塵石綿を販売。1979年売上200億円。利益10億円。ソ連からパッキンの大型商談が舞い込みます。1980年半導体製造装置向け売上始まります。テフロン洗浄器具。上海にシール材料の技術指導のため製品センターを設立します。1980年売上220億円。利益は11億円。1981年売上270億円。利益は17億円と伸びます。石油化学向けパッキン伸びる。半導体装置。そしてミネロンが牽引しました。
二代目 利壽さんの時代
1981年瀧澤利壽さんが社長へ就任します。1980年代は複写機のロールの需要も牽引。1980年代。重厚長大の石油化学業界が下火になります。AGCと建材分野で提携。合弁「アルカー」設立。この頃、工業用パッキングが石綿脱却。厚木は半導体とVTRテープ向けフッ素樹脂で繁忙。
自動車向けもシール材料が好調です。ライニング材料は長い配管向けに伸びます。土地の利用を考えて工場を再編。
1984年。300億円の売上を達成。利益は16億円。プラザ合意。円高になります。
日本経済は厳しくなります。海外からの材料調達も視野に入れました。フッ素材料は固定費が高く減収で大きく1988年がわずか1.6億円の利益になってしまうのです。PER60倍。社員1100名。1989年タイに4割出資合弁設立。
時代はバブル。土地価格の高騰を経験。ここで残念なことに多くの他の企業同様、バルカーもつまずいてしまうのです。1989年財テク活発化で不動産投資を大規模に行います。東京大阪都心で賃貸経営。郷鉄工所の株式五割取得。業務提携を狙います。なんと敵対的な買収を仕掛け鉄の会社を買占めてしまいました。そして日本はバブル経済のピークを迎えました。1989年過去最高の成績。売上366億円。利益は23億円を達成。本業以外で儲かることをしてもいつかはしっぺ返しがきます。1990年売上は400億円。利益は27億円。韓国に事務所を設立します。
1991年にバブル崩壊で株価は1400円から600円へ暴落します。インドネシア合弁で自動車部品向け工場を建設しました。八尾工場から一部製品を移管しました。財テクや鉄工場の買い占めなど積極投資は裏目に出ました。1990年代以降、デフレが日本を襲います。円高により工場は海外に移転してしまいます。工場のメンテナンス収益が中心のバルカー は大きな岐路に立たされました。1993年利益は7.9億円。94年は0.8億円に急減しました。
バルカーもコストの安い中国への進出を考えます。一方で、買い占めた郷鉄鋼株の含み損は44億円に膨らみました。その中でも半導体フロン会社を買収。先代と違って瀧澤利壽さんの社長時代はバブルに翻弄されてしまったのです。経費節約のため物流センターを廃止。工場内部に移しました。
プラント向けは低調ですが、救いは日の丸半導体が好調で不況の穴埋めができました。1995年は利益8.6億円に戻します。ついに上海に生産拠点をつくることを決断します。米国の半導体部品メーカーと合弁を起こします。。
三代目 利一さん(現会長)の時代
1997年父死去により社長子息の瀧澤利一さん(現会長)が当時36才で昇格。勝さんはそのまま残るがしばらくして引退します。96-97年は両年とも売上440億円。利益13億円程度に戻します。
1998年に真空事業開発部を新設。半導体装置でプラズマに強い材料で新規需要を狙います。新社長はバブルの負の遺産との決別を誓います。
1999年100人の早期退職を実施。そして負の遺産の処理で純損失79億円を計上。退職債務の処理に郷鉄鋼の全株式を信託へ拠出しました。
社員数1040人へ。半導体L字型弁とゲート弁開発。2000年売上400億円。利益は10億円。自己資本44%。ここで地域別に分社化を断行。
バルカーは復活しました。2001年売上は380億円で利益は26億円に。過去最高のレベルです。この頃、まだ半導体比率は売上の13.5%でした。
スイスVAT社と真空ゲートバルブで提携。自己資本36%で有利子負債120億円へ縮小します。年棒制度を採用。2002年不況。7億円の利益に急減。2003年は売上314億円で利益は11億円へ戻します。2004年は330億円の14億円へ続伸。半導体向けが戻りました。中国への生産を増やします。米国ガーロック社と提携。アスベスト代替を拡販。半導体製造装置ベンチャーALCへ60%出資。子会社へ。エラストマー同業のAWIマットと提携します。
町田に(機能性樹脂の最先端)半導体向けマーケティング部を設立。人材開発センターを併設します。これが同社の将来にとっては非常に大きな出来事だったと思います。本業へ回帰するだけではなく、人材の育成まで踏み込んだのです。
2005年売上390億円。利益は過去最高の30億円となりました。プラントと半導体が揃い踏みのとき、バルカーの業績はこうなります。RD12億円。設備投資23億円。減価償却費12億円。連結人員は1266人。2006/3 売上410億円。利益は34億円。またも過去最高。アスベスト代替でNEDOの研究委託先に選出されました。この頃、売上に占める新製品比率は12%でした。2007/3 売上444億円。利益は40億円。またまた過去最高益を連続更新しました。2008/3 売上456億円。利益は44億円。またまた、また過去最高。プラント向けが頑張りました。海外売上比率はまだ低くて14%でした。
2009/3はリーマンショックです。社員1390人。原発用のパッキンに力点。2010/3 売上はピークから150億円下がり300億円。利益は10億円に低迷しました。ここでダイキンとフッ素樹脂の中国生産の提携。5年後に100億円を目指すことになりました。ダイキンは現在、バルカーの大株主でもあります。
2011/3 売上370億円。利益は31億円に回復します。大震災で福島原発廃炉の危機。パッキン需要低迷懸念。2012年シリコンウエハリサイクル事業に52%投資。ダイキンとのフッ素樹脂の事業は27億円まで中国で伸ばすことができました。2012年から韓国工場が稼働。半導体へ売り込み攻勢が始まりました。ところが民主党の失策による超円高に悩まされます。民主党は本当にダメダメな政権でした。2013年は利益14億円に低迷。
その後のアベノミクスで収益は回復していきます。2015年に利益28億円に回復。2016年から海外のプラント向けに営業。ここから海外比率が高まりました。2017年米国で薬液タンク会社を買収。これを半導体工場へアップセル。韓国と米国で研究開発。技術セールス拡充。ライバルDUPON対策で米国に切り込みました。薬液タンクは半導体の工場向け。メンテナンスもついてくるから一石二鳥です。2019年3月には510億円の売上。利益は56億円となりました。過去最高利益を大きく更新しました。
ところが2019年米中摩擦で半導体投資は失速。その後2020年。コロナショックです。石油石化プラント修繕が不況。状況は悪化しました。
利一さんは会長へ。そして創業家以外から社長に招聘されたのが本坊さんでした。バブルの後始末。その後の急激な低金利による年金債務問題の解決。80円の超円高による海外企業の買収。その後は大量のバブルを使う需要先の1つである原発の停止や廃炉。大きな試練に次々に直面しました。乗り越えてきたのはいつも新製品の需要でした。海外市場を開拓。今では海外比率は30%となりました。連結社員数は1800人を超えました。
バルカーは頑張ったのです。そして結果を出し続けたのです。シクリカルの波に沈みながらもいつも最高益、V字で回復してきました。これからはプラント向け海外も含めた修繕ニーズをライニング材料で取り込みます。そして半導体装置だけではなく半導体工場の配管などもビジネスチャンスとなります。企業は社会の進歩や移り変わりとともに柔軟に変化しなければ生き残ることができません。
社会の変化や進歩の一歩先を行くことでバルカーは生き残ってきました。そしてこの先、利益を60億円、70億円と過去最高利益を更新していくはずです。なぜならばこれまでもそうだったからです。俯瞰した1962年より営業赤字は一回もありませんでした。
瀧澤会長 本坊社長時代 2019 – なぜ中計か。なぜ新社長か。
R&Dについては、町田の拠点での長年の人員育成によりRD陣容が整ってきました。これまでは新製品投入はかなり厳しくして審査をする文化だったそうです。とにかく、これではダメです。一旦新しいことにどんどん挑戦してみようという方向になります。2027年にむけて挑戦する文化を育みたいそうです。どんどん新しいことにチャレンするにはまだ、経営も社員も意識が不十分である考えているようです。少し冒険が足りないのだと。失敗を恐る文化が存在してると。2017/3ごろから前向きな方針に転換しているようですが。これからはもっともっと新製品投入をやるべきだとバルカーは思っているようです。それで大きな目標800億円を立てた、というわけです。新社長のお言葉は最後に載せてあります。
バルカー製品の理解のためのポイント
SCREEN ホールディングスの洗浄装置の構造ですが配管とバルブが多く使われることがわかります。SCREENの特許では以下のように表現されています。
「配管がフッ素樹脂成形品である場合、DIW、界面活性剤を含有するDIW、アンモニア水、SC1、及びIPAを使用しても、粒子径が30nm以下のパーティクルが配管の内面に残存することがある。配管に用いられるフッ素樹脂成形品は、例えば、PFAチューブである。PFAチューブは、テトラフルオロエチレン・パーフルオロアルキルビニルエーテル共重合体(PFA)を材料とする配管である。一方、特開2015−40279号公報には、フッ素置換溶媒を含有する洗浄剤を用いることで、フッ素樹脂成形品を清浄にできることが開示されている。フッ素置換溶媒としてデカフルオロペンタンを用いることにより、PFAチューブの内面から微小なパーティクルを除去できることが開示されている」とあります。
SCREENホールディングスの洗浄装置の周りには大量の薬液向けの配管やバルブが必要になります。半導体工場には多くのタンクが設置されています。数は膨大。これらの内張樹脂が交換メンテのニーズがあるのです。
Bonded Sealについてはこう記載があります。「一般的に、ゴム材料には補強を目的として無機充填材が 配合されている。しかし、プラズマCVDやプラズマエッチン グ装置などの半導体製造装置向けのシール材としてゴム材 料を使用する場合には、無機充填材を含まない材料が好ま れる。それは、無機充填材を使用していると、ゴム成分がプ ラズマによりエッチングされることで、無機充填材がシール材 表面に露出し飛散した場合、プロセスチャンバー内を汚染す る懸念があるためである。しかしながら、ゲート部のような動的部で使用する場合、無機充填材を含まないゴム材料では応力が低くなるため、シール材の変形が大きくなり、弁体同 士の接触によるパーティクル発生などのトラブルの懸念があ る。そこで無機充填材を含まず、動的部でも使用可能で、かつ耐熱性に優れた材料をコンセプトに開発した。」(バルカー技術誌2014 winterより)
Bondedシールは金属とゴムを接着するものですが、この接着剤が悪さをしてはいけません。そこがノウハウに該当します。金属だけ、ゴムだけ、ではなく3つの材料をベストでミックスしなければならないというのが付加価値の源泉のようです。
(2020年特許公開 特開2020-12512より)
(バルカー技術 2012summer FLUORITZ開発)
2020 5 21 説明会の書き起こし(筆者の聴力と手打ちに依存します。その点をご了承ください)
本坊社長からのご挨拶
40年商社におりました。昨年6月から社長。バルカーは手堅い。そして顧客の信頼が厚い。2000年代の中計のロール。足元の事業を修正しつつ、20年間成長してきました。主力の樹脂、エラストマ、製品ごとに限界を定めているようにも見えます。要素技術があるのに、新規事業ができないはずはないと思います。売上500億円規模では少ないのです。まだ開拓余地があるのです。テフロンを日本で初めて持ち込んだチャレンジの会社。これが原点なのです。全社一丸で計画を策定したのです。この中身を具体的にお示ししたいが、個別論に入るにはまだ時期が早すぎます。時期が来れば発表します。本来であれば詳細な事業計画を説明したかったのですが消化不良の説明しかできなないならばやらない方がよいでしょう。できるだけ早い時期に中期計画と今年度の計画を発表します。ぜひ、株主の皆様のご支援を賜りたいのです。
(筆者より[減配は覚悟する必要はあるでしょうが11月10日の戦略の説明会を楽しみにしてください])
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