意思を強く、手法はシンプルに! Y理論とX理論とバリューとグロース by yamamoto

2020年1月6日

投資手法はシンプルに 心は強く

何事もsimple is the bestですね。

サウナに行くと、年配の恰幅のよい方が、こんなことを言っていました。「10回入って体重が3-4キロ落ちるんだけど、そのあとビールをたらふく飲むので体重が戻る。なぜか戻っちゃう」。わたしには幸せになる方法は伝授することはできませんが、目的がしっかりしている場合は単純に考えます。その目的を達成するためには、単純な手法が複雑な方法より失敗するリスクが小さいと思うのです。

その方に言いました。体重を落とすのが目的なのですか。それとも、ビールをたらふく飲んでも体重が増えないことが目的なのですかと。もし、後者であれば、十分に目的を達成しているのです。もし、前者であれば、プロセスが間違っていると。

目的が体重を落としたいなら食べなければよい

食べるから体重が増える。食べなければ体重は減る。体重を減らしたい。

わたしなら、体重落とすならば、食べないですね。3日間ぐらい食べなきゃ、減るでしょう。それで課題は解決。

おしまいです。そうですね、普段読みたいと思って読めないような上中下にわかれているのような小説なんかをその機会にじっくり読む。あるいは、有機化学の教科書を3日間でひたすら読む。

体重落ちる。健康になる。知識は増える。悪いことはなにもない。

そうしなよ。とわたしならそうアドバイスします。ところがそれができる人はいません。なぜでしょうか。

ありえない空想=ファンタジーを信じるのがホモサピエンス

シリコンバレーで世界的なSNS企業でエンジニアをしている友達からベストセラーとなったハラリさんの「サピエンス全史」の読後感を聞かれて、人は投資でも同じだけど、自分の命の長さを意識してしまうからね、とかなんとか、やりとりをしていましたが、そのハラリさんのベストセラーは、人が他の類人猿たちと違ったのはファンタジーを信じる力だと。

確かに、お金さえあれば幸せになれるというファンタジーを信じる人は多い。神様を信じて幸せになるというファンタジーは宗教そのものですね。ありえない空想を人は信じるわけです。脳が楽をしたいからですね。

腹一杯メシは食うけど体重を落としたいというファンタジーを提供する企業はごまんとあります。

痩せ薬からダイエット機械や塾やジム。全部そうです。まとめて、楽して体重を落とすというファンタジーを提供する。信じる人が信者になる。信者になれば、理論が間違っていても、自分のやり方が間違っているだけだと思い込む。

かなりこじれた戦略です。戦略としては複雑骨折している。1.000と-1.001を交互に足していくと1よりも小さくなっていきますという理論。確かに。楽だけど、どれだけ長期間なの。あ、そうですか。信者になっている時間がなるべく長く。そうね。信者はサプスクリプションモデルで課金を教祖様に続ける。

ファンタジー。いい加減にしろよ。

神様信じれば救われるというファンタジー。手段は単純ですね。さすが宗教。王道です。信じるだけでいいんだから。楽々と天国に行けるよということか。なんだあ。宗教。やるなあ。

お金を貯めたい。使わなければよい。でも、ケチはいやだ。これが複雑骨折的な手段ですね。

ケチはいやだがお金は貯めたい。作戦としては失敗しそうですね。成功する感じがしない。失敗する作戦を考えるとは、頭が悪いのでしょうか。あるいはよすぎるのでしょうか。

幸せになる方法は人により千差万別でしょうが、目的が定量的なものであれば、わたしは最大の要素を攻略する作戦をとります。

体重を10キロ落とす。断食をすれば落ちるでしょう。確実に落ちる方法があるのだから、それを採用すべきなんじゃないか。

本能の逆 

やりたいことが明確にあればそれをやればよいでしょう。運用とは本能の逆をやること。脳のベクトルの真反対をやること。

世界一ヒットを積み上げたイチロー選手や三冠王を三度とった落合選手は血の滲むような努力をした訳で、楽に野球が上手くなる方法を模索したわけではないのです。やるなら覚悟を決めてやる。やらないならやらない。どっちかですね。

本能が邪魔するなら本能に負けるだけの意思だったということ

あんたの意思がクソみたいに弱くて、簡単にひっくり返るぐらいのしょーもない意思なんだから、やる意味なんか最初からなかったんだよ。自分の意思の弱さ考えて、その弱さを前提にしたら、どんな作戦も失敗するのさ。その弱い意思を利用しようとする悪いやつらがいる。詐欺集団とか。悪徳な通販とか。新興宗教もツボ売ったりするようなものもあるし、信者からお金をお布施としてもらっている。これは信者が好きでやっているのだから勝手なのかもしれません。楽して何かを成し遂げてもつまらないよ。脳は楽をしたいから、それでも騙される人はあとをたたないでしょう。意思の弱さを前提にして何かうまい方法がないか。そんな都合のよいことを考えている限りは上手くはないねえ。物事というのはつまり意思が弱いことだけが問題。本質的に意思が弱い人の作戦はうまくいきません。わたしはそう思いますね。いい年して、甘ったれんじゃねーよ。やると決めたらやれよ。恥ずかしい。自分で決めたことだろ。自分の意思を貫けよ。わたしはこうアドバイスしますね。

仮に体重を10キロ落とさないと3ヶ月後に死ぬ。落とせば死なないとわかっていれば、だいたいの人は落とすことができるでしょう。そんなシチュエーションこそ、神様信じるよりも、信じてほしいですね。この妄想を。

いいな、誰にもいうなよ。壁に耳あり障子に目あり。やつらがおれを追っている。ああ、おれは、秘密結社に追われていて、実は、天皇家と将軍家の4055代目の家系なんだが、動物愛護団体から絶滅危惧種のうなぎをたべてしまったことを知られて命を狙われているんだ。だが、うなぎの霊を鎮めるために10kgの断食を行えば、許してもらえるんだ。

そんなファンタジーを誰だって信じることができるはず。

だって、信じれば救われるよりももっとリアリティがあるよ。天国なんて見た人いないだから。秘密結社も動物愛護団体も天皇家も将軍家もあるし、うなぎもあるんだから。信じられるファンタジーを信じず、信じられないファンタジーを信じるのは人間は頭がよすぎるからでしょうか。あ、そうか。見たことないから信じるんだ。うなぎじゃ、リアルすぎて信じられないんだな。あったまいいなああ。宗教は詐欺的にビジネスが上手です。うまいなあ。よくできている。俺のファンタジーはうなぎと断食じゃあ、誰も信じないかあ。

みんなが本能に負ける。だから、幸せと目的とは違う。

目的を達成したいなら、細分化。長期のフォーカス。積み上げ。ひとつひとつの戦略はsimpleに。ベクトルの合った努力。

単純に努力を積み上げてやるだけだ。

複雑骨折みたいな思考が世の中にはびこって、楽してなんでもわかるとか。

猿でもわかる量子力学とか。

わかりやすくわかりやすく書かれたものを読んで、まるっきり本質とそれた理解をしていく人生。それでも信じて幸せになるならそれもありですね。

バリュー投資はクレーンゲーム?

クレーンゲームありますね。300円で1000円の価値のあるものをクレーンで取るというゲーム。バリュー投資はクレーンゲームですね。

含み益がある。それがわかる。時価総額よりも含みが大きい。おお。これはと言って、株価=コインを入れて、クレーンを動かす。

あれれ、失敗。配当も出ないや。金庫にたんまりお宝があるが、鍵がない。鍵は経営者が握っている。株主は経営者側だ。鍵ないのに、どうやって中身を出すのか。そのうち陳腐化して、含み益も消えてしまうかもしれない。含みは揺れるものだから。

クレーンでお宝をゲットするというファンタジーを信じてゲームをしてください。ファンタジーといえば言い過ぎかもしれないですがね。

現実的な配当の将来列を多数考えるのが私のファンタジーです。より現実的なシナリオに近いファンタジー。私の考えでは、グロース投資の方が、バリュー投資よりも現実に近いものです。

性善説と性悪説とY理論とX理論

XY理論は、Wikipediaによれば、

ダグラス・マグレガーの著書『企業の人間的側面』の中に登場する理論である。著書の中で、権限行使と命令統制による経営手法をX理論として批判し、統合と自己統制による経営が、将来の良い経営手法となると主張している。
アブラハム・マズローが先に唱えた欲求段階説を基にして説明されている。XY理論に境界はなく人間はX-Yを繋いだ線上にある前提で、X理論は低次元の欲求を多く持つ人間の行動モデルに分類され、Y理論は高次元の欲求を多く持つ人間の行動モデルに分類される。
マクレガーは、低次元の欲求が満たされている人に対してはX理論による経営手法の効果は期待できない、低次元の欲求が満たされている1960年代ではY理論に基づいた経営方法が望ましい、と主張した。
 
X理論
「人間は本来なまけたがる生き物で、責任をとりたがらず、放っておくと仕事をしなくなる」という考え方。この場合、命令や強制で管理し、目標が達成できなければ懲罰といった、「アメとムチ」による経営手法となる。
 
Y理論
「人間は本来進んで働きたがる生き物で、自己実現のために自ら行動し、進んで問題解決をする」という考え方。この場合、労働者の自主性を尊重する経営手法となり、労働者が高次元欲求を持っている場合有効である。(以上Wikiより)
 
Y理論が教育や経営に蔓延し、その揺り戻しがきて、識学のようなX理論が出てきて流行っている。
 
私はY理論を信じています。尊敬する人は、男子バレーをミュンヘン五輪でゴールドメダルに導いた松平康隆監督(1930-2011)。彼は言いました。負けてたまるかと。オリンピックで金メダルが一銭にもならない時代にこそ、それをやる意味があると。人は名誉のために動くのだと。五輪金メダルの栄冠はどんなお金持ちでも得られない特別な名誉なんだと。名誉のために人は努力できるのだと。まさにY理論。高い給料出して欲丸出しのヘッジファンドとは違う。私は100%松平さんの意見を採用したい。それが人間だと思うから。
ラジオジョッキーとしても有名で、中学時代に日本鋼管スポンサーの世界のマーチなんかはよく聞いていました。著書は多数あり、題名で何が言いたいかわかる。「負けてたまるか」(1972)「負け犬になるな」(1977)。世界から尊敬されるべきホモ・サピエンスです。
 
仲間をY理論に引き込み、仲間を全力で応援する。そのためには、冒頭のように、意思の力が大切なのです。
安易な複雑骨折的な考え、リスクはなしで、リターンだけ欲しい。
短期で大儲けしたいが損はしたくない。それはウルトラマンになりたい。透明人間になりたいという願望となんら変わりません。
 
努力しなきゃ。人間だもの。応援しなきゃ。人間だもの。
 
幸せの感覚は人によって違うので、なんともいえないけど、ネットで匿名性を条件に、他者を貶し、否定することを快感と感じて、それが幸福だと思うしょーもないクズもいる。一方で、他の裕福なプロスポーツに比べると、金銭的に恵まれないが、全てを犠牲にして強くなったラクビー日本代表のような方もいる。具体的に決勝トーナメントという目標を達成する道もある。
 
あるいは、他者の可能性を信じて応援するというファンタジーもある。
 
どのファンタジーを信じるのか。あなたはどっちですか? 
私は、Y理論というファンタジーを信じます。
宗教は信じませんが、信じている人は幸せだなあと思ますよ!
 

2020年1月6日成長株投資

Posted by 山本 潤