子育てコラム #12 公立中学という選択

2019年12月18日

公立中学校という選択:区立中学から難関大学へ 2016.03.24(子育てコラム第12回)
~続 我が家は中学受験をしないことを決めました ~

中学受験をしないことを決めた我が家。

江戸川区で4人の男児を女房と共に育てている。

通塾はむしろ子どもの好奇心の芽を摘むからだ。

我が家の4人の息子たちは、全員が区立保育園、区立小学校に進んだ。 そして、全員が中学受験をしないこと、塾に通わないことを決めて、区立中学校という選択をした。

子どもは親だけではなく地域社会によっても育まれる。

区立中学が属する地域社会。地域は玉石混合、多種多様。 そこで強い心、創造性、感受性を育むために、区立中学(公立中学)を徹底的に利用する。

区立のよさは、健常者と障害者とが一緒に学び、一緒に育つこと。 いじめや不登校をクラス全体で解決していくこと。

■区立中学の環境は我が子には最高だった

中学受験に参加し、中高一貫教育を受けさせるのは、短期では子どものためにはなるが、長期ではマイナスが大きすぎる。

中高一貫の短期のメリットとしては、

まず問題や課題から子供を遠ざける無菌室を用意できること。(実は最悪の環境)

親も教育熱心であり積極的に学校に関与すること。 私立学校は親のニーズに敏感だ。つまり、親や生徒をお客さん(顧客)として扱ってくれる。(むしろ最悪の状況)

大学受験では学習を先取りするから現役での合格実績に長ける。(実はあまり価値がないこと)

一方、区立中学という選択。環境は以下の通り。

生徒間の学力の差が大きい。

様々な親がいる。つまり、ブルーワーカー、職人、ホワイトカラーが混在している。外国籍も多い。

様々な子がいる。不登校もある。いじめもある(私立にも同様にいじめは存在する)。 多動症候群の子もいる。

先生たちを悩ますモンスターペアレントも存在する。(私立にもいる)

授業は成り立つだろうか。(私立も塾頼み)

だが、それらはマイナスであるとは限らない。

我が子は、時にはいじめのターゲットとなるだろう。 仲間外れにされることもあるだろう。

酷いこと、醜いこと、憤ること、悲しいことが起こる。

それらは、親や学校の責任というよりは、ほとんどは子どもたちの責任でもある。 子どもが招いたことならば、子どもたちが自ら解決しようと努めなければならない。

いじめがクラスであり、不登校があり、問題児がいる。 公立中学には、子どもには、「弱きを助け強きをくじくかっこいい人間」に進化するチャンスが与えられる

怖さと戦いながら、勇気を振り絞り、一歩踏み出したとき、それが後々の子の人生にどれほど大きな意味を持つか想像してほしい。 確かに、多くの子どもは見て見ぬ振りをするだろう。 多くの大人がそうであるように。 だが、我が家はそれをよしとしない。 いつだって、身の回りには重大な問題が山積している。 何事も他人事にはせず、自らの問題として取り組み、仲間と共に立ち上がり、 努力し格闘し、困難を乗り越える男に育ってほしい。(我が家は男児ばかりなので「男」を育てている)

タフな環境で思い切り挫折してほしい。それを乗り越える経験をして、人間を磨いてほしい。

つまり、中高一貫では純粋培養で一見タフに見える運動会や行事も、期間限定でソルーションがあらかじめ与えられている。

しかし、公立中学で生じる問題は、社会問題なので、どんなに頑張っても解決不能。

短期のささいな努力では全く歯が立たないのだ。 どんなにがんばっても報われない。

それでも、やるしかない。そこで長期の壮大なプランを練ることになる。

あるいは、そこで、やる意味ないじゃん、やっても仕方ないじゃん、関係ないね、となれば、リーダー失格。そうなるんでしょうね。 大体は。

でも、そうならないようにする。それが子育ての一番面白いところ。

倒れても倒れても立ち上がり、裏切られても裏切られてもまだ信じる。そういう男に育てたい。

わたしの極論だが、本当のリーダーは公立中学からしか生まれない、と信じている。 それが区立中学で真のリーダーを育てる意味だ。

■わが町-江戸川区

東京都江戸川区在住。大手町まで地下鉄東西線15分。家賃が安い。 江戸川区がとても気に入り、定住している。 4人の子どもたちのことを考えて、2年前にコラムに書いた通り、中学受験をしないことを報告した。

■子どもに教えすぎない

わたしの父は教員だった。 中学生のころ、父は地域野球の名選手だったらしい。 教員のとき野球部顧問をしていた。 ところが、父はわたしに野球を教えなかった。 なによりも、学校の先生であるにも関わらず、 わたしは父から勉強を教えてもらったことさえない。 子どもを相手に、大人が教えない。

親が教えないから、子どもは安心して、心から、ただ遊ぶ。

保育園に5年通った。保育園では勉強を教えない。 わたしは小学生になったとき、自分の名前も書けなかった。 いまも保育園では字を教えない。

どうか、いつまでも、幼子に勉強を教えるような浅はかな真似はしないでほしい。 保育園が勉強を教えないから、クリエイティブな大人へと育つからだ。

やる気のない子どもをやる気にさせることは無理だ。 やる気のない子どもがいて、親がいる。親には何もできない。 ところが、親は子どもを「やる気」にさせたい。 親の気持ちはわからないでもない。 だが、それは無理な相談。 そんなことをすれば親が子の人生を生きることになる。 子の人生を生きるのは子である。 親が子になれば、子には行き場がない。

■高校入試のやり方や情報は教えるがやるかやらないかは子が決める

子どもは勉強が嫌いだ。 そして、意識も低い。 公立中学生にとって、最大の試練の一つは、高校入試。 小学校と違い、中学生には、定期テストがあり、 区立中学の場合、5段階の通知表がある。

受験では通知表が大きなウエイトを占め、 その通知表は学校の定期テストの出来が反映される。 高校受験への覚悟の有無はあるや否か。 中学生になったら親として子どもに問うてもよいだろう。 もし、高校には特に拘らないなら、それはそれで十分に正しい選択だ。

公立中学を選択しつつ、学者、医者、国家官僚、宇宙飛行士や一流企業就職等を希望するなら、 自己の可能性を狭めないために、難関高校から難関大学へ行けばよい。 我が家は、長男は医者志望、二男は官僚(文部科学省)志望であったため、 二人とも難関高校へ行った。

公立中学からも難関大学への道がある、という程度で本コラムを読んでもらえばよい。

中学生になったら、こんな高校がある、こんな大学があるという情報を与えるようにした。 それでも、志望校を決めるのは子ども自身であるべきだ。 なぜならば、覚悟を決めるのは子どもだからだ。

中学生になれば、多少の道理もわかる。 自我もある。意思もある。 子に覚悟があれば、親は程々に応援すればよい。 子に覚悟がなければ、親にできることは何もない。

■中学生としての心構えを説く。意識は高く。

意識を高くもたせることはできないが、持つようにと子に伝える。

勉強は本人に任せて、何もいわない。

ただし、人生一般論として、「常に意識は高く持つように」にと伝える

低い意識のままなら、そこまでの子であったと諦める。

少なくとも中学1年生の1学期の期末テストまでは待つ。 親は先回りしない。 わざと子どもに「失敗」させる。 その「失敗」から自然に学ぶように仕向ける。 9科目の期末テスト合計が9割未満の場合(900点満点で810点未満のと き)、「これは低い点数だ」と事実を子に伝える。他人と比べて満足する態度を改めさるためだ。比べるべきは、100点と自分の点との落差であって、友達の点と自分の点を比べても無意味だ。

子どもを褒めない。 9割できなければ義務教育は落第であると高い水準を示す。

そして、努力すれば9割の点数は誰でも届くことを伝える。

これは我が家の考え方で、一般的には、ちょっと厳しすぎるかもしれない。

義務教育の内容を問う試験で9割以下はまずいと伝える。 伝えるだけで、叱責や勉強を強要しない。 どんなに高い目標も長期で取り組めば達成が可能なのだから、 意識や目標を高く持つのは当たり前のことであると淡々と伝えるだけでよい。

■言い訳する子どもたち

テストの点数が明らかになるにつれて、子どもは平均点云々という話をする。

いかに「みんなが」できなかったか、という話をするだろう。

子どもというものは、元来、勉強嫌い。 意識が非常に低い動物だ。

また、子は言い訳が本当に大好きだ。

そのとき、親が言うべきことは、 「平均点?平均という概念は、人生で生きていく上で必要ない。 テストでは平均点ではなく、理想点を取れ。理想は我が家では90点以上だ」。

それで目覚めないなら、もう、放置するしかない。 こればかりは本人次第だ。

温い点をとってそれで本人が満足なら仕方ない。 いろんな生き方がある。たかが義務教育。

教育を受ける「権利」が子どもにある。 人権思想に基づく子どもたちのための権利だ。 その権利を行使せず、温い学習態度で過ごすなら、子は「権利」を自ら放棄したのだ。 後々の人生で何かを見つければよい。

一方で、親には教育を子に受けさせる「義務」がある。 「教育を受けさせる義務」とは、ただ、学校に行かせれば終わりとは考えない。 親がピンと背筋を伸ばして、親としての義務を遂行しようとするなら、 子に教育内容を習得させる責務とも取れる。

習得するとはどういう意味だろうか?

それは先生が課す試験で満点を取るという意味に違いない。

もし、温い点しか取れないなら、子は基礎まで戻り、「あいうえお」の読み方 や数の数え方からやり直すしかない。 義務教育が習得できないなら、親の義務を果たしてないということだ。 子に一定の学力は担保してやるのが親としてフェアであろう。

とにかく、 「義務教育で習うことぐらいは完璧にしようぜ」 と子どもの意識を高く設定させて、 「9割に満たない点をとるのは恥ずかしいことだ」 と伝えることだ。

一方で、子というのは面白いもので、一度、9割をとれば、後は、一人で努力 するようになる。 なぜならば、努力が裏切らないことを知った後では、点数が下がるのが嫌にな ってしまい、親に言われなくても勝手に机に向かうようになるからだ。

■子どもが自立するために必要なものは覚悟

難関高校とは、江戸川区在住の生徒の場合、都立で独自作成の入試を実施する 高校か、もしくは、中高一貫校で高校からも募集をする高校である。 都立なら日比谷高校、戸山高校、青山高校、新宿高校等である。

独自入試に対応するためには、それなりの準備をしなければならない。 遅くとも中学2年生春から準備するのがよいと思う。 この事実は情報として子どもに伝える。 親の希望は経済的には学費がかからない都立だろう。

都立志望であれば、独自作成入試で高得点をとらなければ合格できない。 その現実を中学生1年生のときに伝える。 中学校の試験で90点以上をとり、 さらに入試に備えた勉強をする覚悟があるか。

結局は、本人の覚悟。覚悟のあるなし。 こればかりは、親にはどうすることもできない。

■学校の先生をサポートする

我が家の方針は、子どもの前では、 「学校や先生はいつも正しい」 というスタンスだ。

先生をサポートする親でありたいし、先生をサポートする子どもであってほしい。

クラスをまとめ上げ、問題児たちを束ねる力量を培ってほしい。

先生から学級委員に打診があれは受ける覚悟を持つ。 部活で部長に推されたら、迷わないで受ける。

■中学校の内申点は努力で上げることができる

都立高校に行くときに、内申点が一定以上必要になる。

通知表の理想はオール5だ。

内申書対策は定期テストで満点をとること。 少なくとも90点を超える。

余裕をもって計画的にテスト勉強をすればよい。 内容は義務教育。最低限の教養に過ぎない。 試験範囲は前もって発表される。 一科目につき、数ページだから暗記可能な分量だ。

■二兎を追う- 英検と漢検

義務教育の内容を超えた学力を身に着けるために利用できるのが、 英検、漢検、数検などの検定試験だ。1級まである。

検定は中学校で受けることができる。 これをペースメーカーにすればよい。 難関高校に受かるためには、中学校2年生で準2級を取得する。

逆に、準2級を漢検、英検、数検で中2までにとるペースでなければ、 先の難関高校へ余裕をもって受かることは無理である。 そういう意味で、検定試験は高校受験のペースメーカーとして活用する。 検定試験も基本は単語や漢字を覚えることで先の3000語を覚える反復練習の要領で空き時間に単語や漢字をどんどん覚えること。

数学検定は学校で受けられないことが多い。 その場合は、月刊誌「高校への数学」(東京出版1000円)を中学3年生から定期購読し4月から自学する。 「高数」を自学できるレベルでなければ難関校は受からない。

■意思に反して塾に行かせない

「塾に行きたい」と子どもが懇願するまで、塾には行かせなくてよし。

我が家は方針で、習い事は本人が覚悟を決めてやると決意したときだけ認める。 これまで認められた習い事は、長男のドラムと野球、二男の野球、四男のサッカー等。 原則一人一つ。

覚悟がないと習い事は続かない。塾も同様。 本人がどうしても行きたいと訴えてきたら、そのときに行かせればよい。

■嫌ならやめる

子どもに言ってはいけない一言は、「勉強しなさい」。 高校を受験すると決めるのは本人なのだから、子どもが弱音を吐いたときは、 「嫌ならいつでも受験勉強なんてやめればよい」と突き放せばよい。

■意識があればお金はいらない。意識がなければお金が無駄。

勉強することにお金は必要ない。

たとえば、受験サプリは無料だ。 国や区が助成する無料で教えてくれる「タダ塾」もある。 勉強をしたい場合、必要なのは「勉強するぞ」という覚悟だ。 お金は不要。 それが勉強の本質だ。 自学自習という段階に到達した子どもにとって、 もう、受験は大した問題ではない。 何十年と生きるその後の人生をいかに生きるかの方が重要だ。 なにかやりたいと思ったとき、それがスタートラインだ。 何事もやりたいことが見つかったら、それで遅すぎるということはない。 親は受け身。 子どもに本当にやりたいことが自然とでてくるまで我慢強く待つしかない。 このことがわかると、子育ては精神的にぐっと楽になる。

■結局は子の意識

今回も難しくて厳しい内容だ。 意識を高くもち、平均点ではなく理想点をとれと。 それができれば苦労はしない。 多くの公立高校生は、センター試験で6-7割しかとれない。 とても残念だ。 今回のコラムを書くにあたって、わたしは、それはどうしてだろうか、 と考えた。

最初の中学一年生のときの心構えや意識の低さもある。 平均点とって喜んでいる姿が一例だ。 甘さもある。やると決めたらやればよかろうに。 試験9割以下なら義務教育の内容の9割も習得していないことになる。 どうして褒められよう。

このコラムの主題は子どもの覚悟の有無。 覚悟があり、その覚悟は継続するのか。 人は弱い。強い意志は継続しない。それが現実だ。

意識の高い子にはお金は必要ない。自分で勉強するからだ。

意識の低い子はお金をつぎ込んでも何も起こらない。

勉強するにしても、しないことを決めても、どちらの場合も、子育てには原則、お金は不要である。

子に覚悟がない場合、現実を受け入れないのはむしろ親だろう。 子の意識も低いのに、勉強はしてほしいし、よい大学にも行ってほしい。 だから、安心を購入しようとして、ペースメーカーとして、 高いアドバイス料を「自称プロ」たちに払ってしまう。

こういう安心を買う安易な行為は、リテラシーの欠如であるとわたしは指摘しておきたい。

「ライザップ」というダイエットに何十万も払うサービスがある。 痩せたければ食べずに運動すればよい。 体重を管理して、運動すれば誰の助けなしにできるはずだ。

同様に、子どもが大学に行くためには、主要科目を自ら習得すればよい。 たまに、高額の塾が、合格保証なるものをつけるが、 払うのは親でやるのは子どもだから、上手くいくわけがない。

大手の塾は生徒を成績順にクラス分けする。 一番できるクラスが難関に受かるのは当たり前だ。

■高校を信頼し、学校の試験に集中する

長男は、先日、高校の後輩に受験のアドバイスをする機会があったという。

長男のアドバイスは単純で「学校のテストで満点をとれ」。

進学校ならば授業の進度は速い。 だから予習は絶対に必要だ。 授業の後、内容は身についたのか。確認のために復習する。 特に、理系科目は一度躓くと立ち直れない。 物理や数学はわかるまで復習する。

本当に理解できたのだろうか。 それを確かめるためには友達に勉強した内容を教える。 満点をとるのが目的ではなく、真に理解することが目的としたい。

難関大学受験の結果は、まさに学校の試験の順位。 両者は綺麗に比例する。 期末テストで上位なら難関大学に受かる。下位では受からない。

先生は授業の準備を入念にしている。 授業は先生にとって、大切な発表会だ。 だから生徒には一言も漏らさぬように聞き、参加し、 積極的に質問する責務がある。

▪︎覚悟が態度に現れるまで待つ

長男が医者になると決めたのは中学校の3年だった。

後に、センター試験で90%以上得点しなければ国立医学科には行けないことを知る。

本人の覚悟は相当だった。変わった。

高2までスマホでラインばかり。

高3になって、スマホを家において行くようになった。

朝が早くなった。午前6時に家を出る。 そして、午後10時に帰宅。

本人はSSHやら部活やら忙しい毎日の中、さらに、 フェルマーの定理を高校数学の範囲内で証明しようとした。 証明は何十枚になった。 その証明の「どこが間違っているか?」で高校数学の先生は日曜日にも付き合った。

答えのない問いには時間がかかり、人生をかけても解けない問題がある。 フェルマーの定理を高校生が証明できるはずはない。 だが、諦めず1年間証明を考え続ける。 深く考える者には、本質が垣間見える。

さて、二男だが、現在、都立高校の一年生。 勉強、SSH、部活、そして学校行事と充実した学校生活を送っている。 学校は生徒に部活と学校行事に全力で取り組むことを求める。 学校は頼むから塾に行かせないでくれと親に訴えている。 塾へ行く暇はないと。 なぜならば、文系の生徒も数IIIまで数学を修める。 理科も全教科やる。 理系の生徒は日本史も世界史も地理もやる。 漢文も古文もやる。 文理でクラスを分けない。 学力別にクラスを分けない。 いや、2年から3年はクラス替えすらない。 本来、学問には、理系も文系も偏差値の差もない。

受験対策には不利でも、学問に向かう態度をこの高校は示している。 教養のない理系とか数理のわからない文系なんてありえないと考えるからだ。

行事も全力。 秋の学園祭では全クラスが演劇を披露する。 他の学校が受験一色に染まる3年生の夏休みはクラス全員で毎日猛練習。 ミュージカル「ウエストサイド物語」を演じたある高3のクラスは実に7か月前から準備した。 7か月前、つまり、3年生になる前、2年生の春休みときから準備したということだ。 ミュージカルの歌詞は生徒たちが訳す。 振り付けもクラスで考える。 歌声は力強く響き渡る。 高校生がここまでできるのかという感動を与える舞台になる。 学園祭には7000人以上が訪れる。

さらに、年間20人以上に公費を使ってスタンフォード、ハーバード、MIT等の海外一流大学の研究室を訪問する。

■公共の福祉に捧げる人生もある

世の中は、すべてがつながっている。 だから、自分に役に立つことはやるが、直接利益のないことはやらない、 というわけにはいかない。 教育は公的なもの。 公費で勉強させてもらっているのだから、 必死に勉強し公共の福祉に貢献しなければならない。

東大の入試では後期が廃止。推薦入試が導入された。 アカデミックな分野で世界のライバルと死闘を繰り広げている東大にとって、 タフな公立中学出身の生徒がほしいのだ。

大学では、誰にも分からない正解のない問題に、取り組まなければならない。 生涯をかけて取り組んでも解決できない大問題が山積している。 世界中の国家が財政難に苦しむ。 少子化。高齢化。温暖化。環境破壊。 そして格差社会。貧困。 公立中学、公立高校、国立大学は、公費で運営されている。 公費で学んだ者は、公共の福祉のために学ぶ。 これは公立出身者の使命といってもよい。

■一冊の問題集がボロボロになるまで

教えすぎる親。

教育をサービスととらえるならば、 講師に1:1で教えてもらえば、 講師の生活費を生徒が負担することになるから、 べらぼうなお金がかかる。

集団塾で実績を上げているところは、 ノウハウで実績を上げているように主張するだろう。 だが、実際は、寡占化し、教室が何百もある大手の塾が 大量の生徒を成績順に輪切りしている。 その一番成績がよいクラスが成果を出しているのだ。

親は安心を高値で買い、文字通りの「浪費」をする。 だが、これは、子どものためを思っての親心でもある。 これは親のリテラシーの欠如と批判したい。

果たして子育てにお金は必要なのか。 全くの逆。 お金を使うことは子の教育にはむしろ害悪であり、使えば使うほど、子をスポイルしてしまう毒である

偉そうなことを書いているわたしも、長男のときは、試行錯誤の連続だった。 実は、いろんなことを試した。 Z会の通信教育。 トーマスという個別指導の塾。 東進という映像授業の塾。 都立を受けなかった長男は高校を私立に行かせたために、 年間80万円の学費がかかってしまった。 子育てにはお金がかかるはずだと常識を疑わなかった。

でも、事実は違った。

子どもを「ライザップ」に行かせる必要はない。 ペースメーカーは高校の試験でよい。 皆が満点を目指して、クラスで学び教え合う。 友達同士で教えあう環境を子は自然に作ることはできる。

学校の教科書と学校の問題集をボロボロになるまで使いこなせばよいのだ。 二男はサクシードという数学の問題集を何度も繰り返し復習する。 サクシードがボロボロになる。 ボロボロになった問題集に愛着が湧く

長男、次男の二人の高校受験を終えてわかったことは、 子育てに、お金はそれほどかからない。 いや、むしろ、お金はかけてはならない、ということ。 これが素直な感想だ。

さて、三男。 結局、この子はひとつも習い事をしなかった。 前回のコラムでも紹介した。

朝から夕方まで外で遊ぶ。早寝早起きを自分に課しているようだ。 小学校は6年間皆勤賞。 三男は自らが拘った半そで半ズボンのスタイルで小学校の6年間貫き通した。 真冬に半そで。

さて、三男の区立小学校は素晴らしい学校だった。 体育の授業がとても多いことは前回のコラムに書いた。 先生が忙しい授業過程を上手にやり繰りする。

まず、校庭で2時間体育をする。

そして課外授業として、隣接する公園にクラスを連れて行く。

さらに2時間子どもたちを公園で遊ばせる。

ワイワイ、キャッキャという子どもたちの大きな声が地域にこだまする。 それをお母さんたちが暖かく見守っている。

リーダーシップを学ぶためには、できるだけ問題の多い環境で学ばせる方がよいに決まっている。 江戸川区には、先生たちに人気がない。荒れた公立も多いから。 でも、あえて江戸川区を希望する人は、ひとつの中学に留まることができる。 そして、心から感謝していることのひとつとして、 情熱を持ち、生徒を指導してくださる公立中学校の有名教師が多数、奮闘していただいていることである。

先生方は土曜日も日曜日も部活動を指導。 夏休みもほとんど毎日指導。

大変な負担だとは思うが、 「望んで教師になったのだから、部活動に情熱をそそぐのは当たり前です」 とおっしゃる。 「教師になって休みたいなんて、そんな教師は教師ではない」とも。

そういうことを平然とおっしゃる江戸川区の先生方。 わたしは、公立中学校を気概をもって運営する先生方の情熱に感動してしまうのです。 なるほど、江戸川で日本一の部活動が多いのにはこうした背景があるのだということがわかった。

荒れた江戸川というイメージがあるから、勤務地希望で、江戸川を選ぶ先生は少ない。 その中で、下町が好きで、江戸川をあえて希望する先生もいて、長期の地域へのコミットメントが可能となっているのである。

▪︎先生へのメッセージ

「区立中学のS先生に感謝」 S先生。本当に感謝しています。 わたしたちの地域の学校を溢れる情熱で支えていただきまして、 感謝の言葉しかありません。

夏休み、お盆を除いて毎日の部活動。 部活の合間に勉強まで見ていただきました。

夏休みの部活が終われば、プールまで解放していただき、 子供たちは幸せものです。

学校の勉強をしっかりやれば、塾には行く必要はない、 ともおっしゃってくれました。

教師として、あえて、困難な学校を希望してくださいました。 いまの学校がとてもよい学校なので、実は、もっと困難な学校に転勤したいん ですよとおっしゃった。

子供たちは先生のことを心から尊敬しています。 大人が全力を尽くす姿に子供は学んだのだと思います。 その先生の見せた背中に、教育を見た。 わたしも心から先生を尊敬しています。

▪︎我が子へのメッセージ 「お前が生まれた場所にある、お前の学校なんだぜ」

公立中学校だから起こるクラスの問題、monster parentsの問題、 いじめの問題や不登校の問題も、これは、学校の問題ではない。 生徒たちの問題だ。 大人が口を出すこっちゃない。

すべては、お前たちが仲間とどう関わっていくのかという問題だ。

お前たち、当事者意識を持ちな。

もし、クラスメートが困っていて、なにも行動をしないなら、 お前らそれでも仲間なのか?

仮に、いじめがあったとしたら、それは自分たちで解決しなさい。

「いじめなんてくだらない。そんなもの、俺が許さない」 という頼りになるリーダーがいれば、そのクラスは安定する。

もちろん、最初から、頼りのあるリーダーなんていない。 クラスがひとりひとりが、頼り甲斐のある人間に育つように、失敗して、 悩んで、考えて、行動して。それを繰り返してくれ。

本当の勇気をもってくれ。

そして、自分の殻を破る最初の一歩を踏み出してほしい。

結局は、お前が生まれた場所にあるお前たちの学校なんだ。 お父さんの学校じゃない。 お前たちの学校なんだぜ、じゃあ、お前たちでなんとかしろ。 (こんなことを書いていると、いや、理想論だ、社会は変わらない、政治がダメだ、公立学校の先生はダメだ、 という外野の声が大きくなるのはわかっている。)

わたしは、こう言いたい。

おい、いつまでも、先生とか、親とか、つまんねえことをいっているんじゃねえよ。 言い訳並べてるんじゃないよ。親とか学校じゃないんだ。 学校で起こることは、先生じゃなくて、お前らのせいだ。 他の誰のせいでもない。 お前ら生徒が自分たちで解決しなきゃならない。

嫌ならお前がなんとかしろ。

勉強なんか、どうだっていいよ。 社会人になってから、いくらでもできる。 (勉強は自分のために、自分の意思でやるべきものだ。)

よし、俺に任せろ、大丈夫だぜ、といえる男になれ。 自分の周りの人に勇気と希望を与えられる男に育ってほしい。 優しい男はたくさんいるからもういいよ。 覚悟を決めて難事に立ち向かい、弱者に夢と希望を与える男になってくれ

(本コラムは中学受験を否定するものではありません。また、子育てにノウハウはありません。 我が家のケースも、数ある「たまたま」のケースに過ぎません。ライザップは顧客満足の高いサービスです。 本コラムはライザップを否定するものではありません。)

公教育を共に支えましょう!

2019年12月18日子育て・教育

Posted by 山本 潤