1439 安江工務店 -リフォーム需要取り込み MA/有機的成長で名古屋から西へ勢力拡大- by yamamoto
リフォームの安江工務店 (r-cove*はグループを表す商標)
街の工務店が上場するというのは珍しいことかもしれません。
愛知県を地盤にする安江工務店は、2代目の安江博幸さんが1999年に同社を引き継ぎました。そして、ハウスメーカーの下請けから脱却しリフォームを中心に事業を展開。ついに上場を果たします。
リフォームといえば、大規模なリノベーションなどの高額リフォームを頭に描いていた私は、同社の平均顧客単価が70万円と聞いてびっくり。それは大手傘下のリフォーム単価の400-500万円の数分の1だったのです。同社のリフォーム比率は75%を占めます。まさに、リフォーム中心の会社です。リピーターが50%を超えていることから誠実なお仕事をされている会社であることが伺えます。
私がお話をお聞きしたのは2019年7月下旬のことです。同社の山本社長と印田常務ですが、主に社長の山本さんからお話を伺いました。筆者は本業の株式運用の仕事(ダイヤモンド・フィナンシャル・リサーチ)がとても忙しく、なかなかみんなの運用会議向けにレポートコラムがかけませんでした。そうそう、あまり最近、個別のレポート書いていないなと思いつつ、取材後に山本社長に、一つ、レポート書いてくださいよとプッシュされたのです。将来性が高いから書きがいがあると思い、書くことにしました。他にも色々社長さんから頼まれている個別企業が多数あるのですが、すみません。そのうちにちゃんと書きます。しばしご猶予ください。長期保有すれば今後の増収見通しが半端ないため損をする可能性は低いと思いました。
天白区でシェア4%越えのドミナント戦略
住宅メーカーは細分化されており、いかに大きなダイワハウスや積水ハウスといえどもそのシェアは日本でわずか2-3%にすぎません。非常に細分化されたマーケットなのです。特にリフォームは大手が単価の高いものしか扱わずに、街の工務店が地域地域で活躍するマーケットです。安江工務店は愛知県に二桁の拠点を有して愛知全土の85%をカバー。地元天白区では4%を超えるシェアを有しています。
入り口に当たる営業ですが、訪問販売のようなプッシュ型ではありません。かといって電話営業でもありません。基本的にはwebや新聞折り込みのチラシによる待ちの営業です。
天然素材
リフォームには天然素材を重視。無添加の体に優しい漆喰の内装材は一回塗るだけで仕上げることができる工法を採用するなど工夫を重ねています。
サンゴや貝殻などを石灰化した壁材も安価の割に見栄えがよく好評とのこと。
長年の社内改革について
オーナーの安江さんはまだ若く、当初は上場するつもりはなかったようです。2003年に現社長の山本さんが入社。特に名古屋のご出身ではなかったのですが、明治大学を卒業後は大手予備校で企画やMAなどをご担当されていたのですが、名古屋校舎に赴任され、そのままずっと名古屋にとどまることになりました。2003年当時は、総務などのお仕事をされていましたが、次第に経理や企画なども執り行うようになりました。
転職当時は、工務店ですから、離職率30%と高い業界です。営業も歩合営業マンが中心。そうなると会社へのロイヤリティも高いとは言えない状況であったそうです。山本さんがオーナーと二人三脚で社内を改革。営業を固定給にして、人材の育成、定着を目指しました。すると人材が新卒中心に定着し、社内で結婚するものも出てきました。現社長の山本さんは「当初、仕事に誇りを持てなかった社員たちが、ようやく上場を機に仕事に誇りをもち、将来を見据えて結婚してくれるのが嬉しかった」とおっしゃいました。会長の安江オーナーは10年ほど前、「企業というものは社会の公器なのだから、私は10年後には社長を退き、今の社員から社長を出す」とおっしゃったとか。それを聞いていた社員が、オーナーに会うごとに、オーナーあと9年ですよ、オーナーあと8年ですよ、となって、先日、本当に若くして安江オーナーは、社長を山本さんにお譲りになったそうです。少し面白い逸話ですね。現状、離職率は12%程度まで低下。工務店としてはとても低い数字です。
山本社長は2003年当時を振り返り、「みなさん、頑張りましょうよ。この会社に骨を埋めるのですから」と幹部社員たちを会議で説得していた時でした…山本さん、あんたわかっていないね、この会社に骨を埋めようなんてやつ、一人もいないよとある幹部から言い放たれたことが本当に衝撃だったそうなのです。その後、わずか10数年で社長まで任されるのですから山本社長は、当時のその衝撃発言をバネにして、「よい会社」にするため、きっと、がむしゃらになって頑張ったのではないかと私は想像しました。
ビジネスモデル
戦略ははっきりしています。
チラシやwebから住まいのなんでも相談を受けます。
大手が見向きもしない畳の取り替えや網戸の交換など単価の低い高いに関わらず、親身に顧客に寄り添います。
電話を受けたら30分で到着できるエリアにしかチラシを巻きません。
そして、地域の連携先の職人たちを差配します。
このような地域密着型ですので、早々に崩れるようなビジネスモデルではありません。
デザイナーによる提案と職人の多能工化
同社では、デザイナーを20人程度抱えていますが、女性デザイナーです。女性ならではの、キッチン周り、家事のやりやすさなどの視点が有効だからといいます。主婦がリフォームのキーマンです。動線がわかる女性デザイナーの提案は理にかなっているようです。
また、新人の職人を連携先の工務店やベテランの職人たちに預けて現場でのOJTを強化しています。様々な工事やリフォームができるように、一人何役もこなせる多能工を志向します。そのことが将来、同社の利益率を向上させていくはずです。
年に一度のペースで特徴ある西日本の工務店を買収
熊本のトーヤハウスや神戸のN-Basicという特徴ある工務店をMAしました。今後も事業継承をお手伝いするために特徴ある工務店の買収を西日本を中心に進めていく計画です。ドミナント戦略ではジワリと西に展開。売上は2倍3倍を目指します。愛知ですが現状12店舗を20までは増やせる見込みです。山陽ベルト地帯を下記の地図のように攻めていく計画です。
競争の厳しい首都圏ではなく山陽ベルト地帯を主戦場として選ぶのはセンスがよいと感じました。
課題はあります。まずは、人材の育成があげられます。巡航速度を超える成長にはひずみが出ます。
株価は低位に止まり、出来高もあまりないことから、当面は、長期保有の個人投資家のファン作りを目指して欲しいなというのが私の実感です。
リンクスリサーチでは、この夏、初めて名古屋で長期投資ゼミを行い、名古屋地区のアナリストを現在育成中です。Mさんというアナリストが同社を訪問希望してくれたのが同社訪問のきっかけです。私は利益率重視の投資家ですので、同社の利益率は工務店の利益率としては精一杯のところかなと思っております。これは上から目線ではなく、顧客に正面から向き合い頑張ってしっかり利益を稼ぐことができる営業利益率が5-8%ではないかという意味です。もう少し収益性が高まることを期待します。山本社長にもう少し利益率は高めることができますかとお聞きすると、できるとの答え。期待しましょう。
大手がもうけの多い仕事を選り好みしている間に、同社が大きく成長することが業界のためになると思っております。
配当利回り4%を大きく超えていることや増配の歴史もよいですね。今期も1円ぐらいは予想数値からの上乗せが期待できるでしょう。と軽い同社経営へのプレッシャーを書いておきます。
仕事で書いているレポートではないので、好きなように書いていますが、工務店というものが細分化された市場で、寡占が難しい市場であることを私自身の体験を最後に書きたいと思います。これは安江工務店とは全く無関係の話です。。。汗
すみませんが、最後に少しお付き合いを。
工務店 筆者の場合 身内で全部 作ってしまった…
=細分化された業界 ー わたし自身のこと=
名古屋市の黒川で生まれ育ったわたしは、3才のときに守山区に引っ越したのです。
父方も母方も黒川出身で父方の祖父の鹿十郎と祖母のとみゑが山本屋食堂を切り盛りしていました。
わたしが生まれた翌年に祖父は病死。
店をたたむとともに、子育ての環境を求めて未開の地の守山へ一族で引っ越しをしたのです。
確かにドラえもんの世界で、家の横が山で前が空き地。
空き地で野球をして、山をトタン板で滑り降りる毎日でした。
夏が近づくと田んぼのカエルの合唱がとてもうるさかった。
現在はびっしり宅地ですが、50年前は、守山には舗装道路はなく、空き地ばかりでした。
黒川の土地を売却するだけで一族が住むための家が守山と川向こうの春日井に6件建ちます。
黒川の山本屋食堂の解体は慎重を期して、岐阜のひるがの高原の別荘の建築資材として再利用することになったのです。
ひるがの高原の山を買い取り、道なき道を舗装し開拓して、一級建築士の叔父が山本屋の廃材をベースに設計した山荘が親族の日曜日大工により完成したのです。
わたしが5才のころでした。
椅子もテーブルもソファーもすべてが父の手作りでした。
父は、日曜大工が本当に好きだったのでしょう。
このように、廃材を利用して身内で設計し自分で大工をすれば格安に家は建つものです。
山荘の見栄えはお世辞にもよいとは思いませんでした。
くみとりのトイレですので、維持はそれなりに大変です。
(下水道の普及はまだまだ先のことです)
電気も水道もない中で、避暑地として、一族郎等は毎年夏になると別荘に移動したものです。
井戸を掘り、水を汲み、灯油で発電機を回す生活を毎夏にしたものです。
昭和40年代はどこでも井戸水が中心の生活でした。
教師だった父は、2週間ぐらいのまとまった夏休みを取り、家族をひきつれてひるがのへ疎開。
ポータブルラジオで高校野球やミュンヘン五輪の男子バレーボールの試合を山荘で家族でラジオを囲み応援したものです。
テレビで見た試合は覚えていませんが、このころ、ラジオで聞いた試合は生々しいほどのイメージをもって再現できます。
ラジオが民衆を熱狂させた時代があったことも納得できます。
祖母は長期投資家でしたので、山の杉の木を見ては、妹の詠子に「なあ、詠子ちゃん、この山の杉はみんな50年経てば木材になる。ただ、待っとればえーがや。ただ、まっとればええ。これらはみんな詠子ちゃんのもんになるんよ」と投資の秘訣を話していました。
祖母の四人のこどもたちは守山で家を設計・地元工務店の方々が各々に木造二階建ての家を建ててくれました。
そして、50年以上が経ったいまも叔父が設計した賃貸アパートは健在です。
建築士がしっかりと設計すれば木造住宅でも50年以上は持つのです。
50年以上の家賃の総額を考えると、初期コストなど微々たるものです。
不動産投資はしたほうがええのです。
土地を買うなら角地を買う。
それだけで高度成長期の日本は不自由のない暮らしが実現できたのですね。
なんでこんなことを書いているかといえば、工務店がなぜ細分化された市場なのかを説明するためです。
つまりは、設計する人、資材を提供する人、あとは大工をする人がいれば、なんとか家は建つ。
大手ではなくても個人の努力で家は経ちます。
それが最大手クラスの積水ハウスなどでも日本におけるシェアがわずか2%程度であるという証です。
出来合いの大手のプレハブもよいのですが、手作りの廃材再利用の家もオツなものです。
廃材をつかったから安くなるというわけではないのです。
むしろ、運搬費用や労力を考えれば地元の木材を使うほうがよほど安い。
でも、祖父の鹿十郎ががんばって切り盛りした山本屋食堂の柱を捨てるという決断が祖母とみゑにはできなかったのでしょう。割高になってもよいから、おじいちゃんと一緒にがんばった木材に見守れながら、息子や孫たちと暑い名古屋の夏を避けて山荘で暮らしたい。そう思っていたのです。
叔父は50年前にアパートを設計して、俺が設計するからには頑丈に作るぞ、手を抜かないから50年は持つように作ると言っていましたが、果たして、その通りになったのです。
執筆者について
山本 潤(やまもと じゅん) ダイヤモンドフィナンシャルリサーチ投資助言部投資判断者
コロンビア大学大学院修了。
哲学・工学・理学の3つの修士号取得。外資系投資顧問のファンドマネジャー歴20年。日本株の成長株投資を得意としている。
外資系投資顧問会社クレイ フィンレイ日本法人共同パートナーで日本株及びアジア株の運用などを経て投資教育の会社を設立。現在も年間200社前後の会社訪問と投資判断を行っている。
1997-2003年年金運用の時代は1,000億円を運用。
その後、2004年から2017年5月までの14年間、日本株ロング・ショート戦略ファンドマネジャー。月刊マネー誌『ダイヤモンドZAi』誌上の銘柄分析を10年以上続けている。
過去20年超の機関投資家としての運用戦績は年ベースで17勝4敗の勝率8割超(同期間の日経平均は、12勝9敗)。
著書に『インベストメント』『投資家から「自立する」投資家へ~企業の真のPERを知り、それに打ち勝つ自分をつくる~』。ビデオ・DVDに「ファンダメンタルズ分析入門セミナー」がある。
現在は、DFRにおいて日本株ポートフォリオ22銘柄で助言サービスを行っている。2019年8月2日まで年初来7ヶ月間でTOPIXを8%上回る成績を提供している。
ディスカッション
コメント一覧
安江工務店さん、名証IRフェスタに出展されていました。
私自身はついついフジミインコーポレーテッドとか自動車関係とかの方へ行ってしまって、話も聞いていないし、ブースも行っていませんが。
そうですか、M&Aの成長戦略というのがあったのですか。単に地元密着かと思っていました。
我が家は以下の木造建築の地元の工務店で建ててもらいました。
吉野杉を中心とした木ばかりの家です。地元ではなかなか評判のいい工務店です。
http://www.tukide.jp/index.html
また注目して見てみます。